物語の幕の下ろし方

散文的日常記録

先日とある宴会があり、その中で年齢の話になった。

僕は今年52歳になるので恐らくそこにいるメンバー内最年長。流れから「50歳になって変わった意識とかありますか?」と聞かれたので「30歳や40歳のときは特に何も変わらなかったけど50歳はあったよ」と答えた。

僕の場合、それは自分の人生の終わり方である。

「えー?終活ですか?」と聞かれたので「いや、そういうのとはちょっと違う」と言い「たぶんこの年齢から考えて、今後自分が新しい何者かになることは想像しにくいから、これまでの総決算としての最終章をこれから造っていきたいって感じ」と話した。

自分でも何を言ってるかよくわからなかったのでもう少しまとめたかったが、ちょうど店員さんがビールのお代わりを持ってきたのでそのまま話が流れた。

あのとき僕は何を言いたかったのだろう…と今一度考える。

予め言っておくが別に自己年齢を悲観して言ったわけではない。というより僕は自分の年齢を悲観したことが無い。

二十歳の若者からみたら52歳なんて「もう人生の楽しみとかすべて終わってる年齢」と感じるだろうし、80歳のおじいちゃんからみたら「まだまだ若造だ」と言われるだろう。体重だってそうだ。僕は太っているが、ハワイにいったら僕なんて痩せてる方なのだ。

何が言いたいのかというと、結局そういった相対的なものでコロコロ変わる評価なんていちいち気にしていられるかってことである。10代や20代の人のことを羨ましいなんて思ったことは一度もない。なぜなら僕だって人一倍充実した10代や20代のときを過ごした経験があるからだ。

…ああ、わかった。あのときああいった理由がわかった。要は自分がこの世を去った後に人々の記憶に残るであろう「オガーさんはこういう人だったよね」というイメージを自分が納得する形で作りあげてから物語の幕を下ろしたいのだと思う。

これはとても贅沢な希望だ。恐らく一番欲深い話かもしれない。

僕の人生、けして順風満帆でも安定した航海でもなかった。失敗なら数えきれないほどある。

だからこそ何とかやっていきたいと強く思う。禊とか懺悔とかではなく、これは僕の欲望であり目標なのだ。

それにはまだまだ時間がかかるだろう。つまり簡単に死ねないということだ。

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