大人の背中のバトン

現在母がいる部屋はかつて亡き父が使っていた部屋なんですが、そこの壁の片隅にはとある古びたペナントが飾られています。

1982年8月1日に行われた最上川自作船下りレース参加記念。ググってもこのイベントの詳細は出てこないので自分の微かな記憶で書くしかないのですが、たしか現在の立川町あたりをスタートし、酒田市の河口を目指すというレースだった気がします。

どうです?かなりイカれたイベントでしょう?

しかも船下りなんて言ってますが、要は素人の自作のいかだで日本三大急流の最上川を下るという、まさにビビった奴らは負けというチキンレース大会。AIに聞いたらこんな危ないことが15年続いたというから驚きです。

AI による概要
 
1982年に山形県酒田市で始まった「最上川自作船下りレース」は、市民の有志や各団体が手作りのユニークなイカダやボートに乗って最上川を下る人気イベントでした。1994年の第15回大会をもって惜しまれつつも終了するまで、夏の風物詩として長年親しまれてきました。 [1]
当時のレースの様子や詳細な歴史、記録については、以下の公式資料や関連サイトをご確認ください。

1980年代初めにスタートし90年代半ばに終わる。まさに酒田市、いやこの国の繁栄、そして衰退の始まりとリンクしてる気がしますね…。

ちなみに1982年(昭和57年)は僕が10歳になる年ですから記憶もそれなりにあります。西部警察のロケが行われたのもこの年ですよね。酒田の若い人であの回を見たことない人はぜひ見て欲しい。当時の酒田は本当に活気がありましたし、民放ドラマのイチ放送でここまで予算を掛けられるほどテレビもニッサンも元気がありました。

さて、そのいかだレース。このペナントがあるということは当然僕の父も参加者なわけですが、毎週日曜日になると同じ参加者である友人の家かなんかでせっせとみんなでいかだをつくるわけです。よく一緒に連れて行かれた僕はその様子を眺めていました。

休みの日にわざわざ大の大人が何人も集まって、ああでもないこうでもないと言いながらレースに向かっていかだを作る。

今になって思うと、少年だった僕にとってこの体験はとても大きいものだった気がします。というのも、学校や習い事の「先生」という立場以外の大人にたくさん接する機会は、わざわざ作ってもらわないと今も昔もそんなに多くはありません。

僕は父のことを尊敬してやまないということはありませんが、大の大人がひたむきに遊ぶ姿を見ることが出来たこと、そしてそんな人たちと接する機会を作ってもらったことだけは感謝しているし、もし父がそこに何らかの狙いがあって僕を連れ出していたとするならばその部分は尊敬します。「親や先生以外の大人も知る」ということは子どもにとって大きな財産となるからです。

小学校で5年、中学校で3年務めてきた僕のPTA活動の原動力はじつはここにあります。このいかだレースの大人たちがそうだったように、今度は息子たちの世代に自分が大人の背中を見せていかねばならないと思ったからです。

その計8年間の結果が彼らにどんな影響をもたらしたかは知る由もありません。

ただひとつ言えることは、子どもたちは僕を「○○くんのお父さん」ではなく「○○さん」と呼んで話しかけてくれるし、息子も同じように僕の仲間を「○○さん」と呼んでいます。もうずいぶん前からそうです。

それだけで十分です。僕が父とその仲間から渡されたバトンは確実に現代の子どもたちに繋ぎました。それをどうするかは将来の彼ら次第です。

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