ブログを書いてるのが習慣になると、日々の生活からこぼれてくる何かを言語化して書き残そうとするクセがつく。これは本当だし、けして悪いことでは無い。
僕にとって問題なのは、それを記事化しようとすることにより、読み手に伝えることを重視し過ぎることで蛇足が増えることだ。そして結果的にどうでもいいことが残り、小さなことが過去に流れてしまうことだ。
最近思う。むしろその小さなことにこそ本当に輝く瞬間があるような気がする。
新年度、新学期、新時代。そして新しい季節。
僕もこの節目に立って、もう一度10年以上前にブログを書き始めた頃のように、シンプルに自分なりの文章を書いていこうと思う。それをブログ内に「日々の生活から」というカテゴリーとして新たに設けてみた。
では、スタート。
選ばれるために
今度の日曜日の4月6日、山形県議会議員選挙が行われる。
ということはもちろん街中選挙カーが街中走り回っている毎日である。
まぁハッキリ言えばやかましい。僕は自宅、そして事務所が幹線道路沿いに立地しているので特にそう感じるのかもしれないが、電話の応対時などは一度受話器を外さなければいけないほどだ。
とはいうもののそこは我々も大人である。彼らには彼らの事情があって候補者の名前を連呼しているのだ。したがって特別腹も立たない。素直に頑張ってねと思う。
だが、子どもは違うらしい。
選挙カーが走り出した頃、ちょうど春休み中で、部屋でテレビゲームをしていたこの春小3になる僕のせがれがこう言った。
「とうちゃん!!あのうるさいのなに?!」
僕は簡単に説明した。そしてこれは4月5日まで続くことも伝えた。そして夜になった。
「とうちゃん!!もう夜なのにまだ叫んでるよ?!おかしいでしょ??」
僕は20時には静かになるよと伝えた。
それからしばらく立ち、僕は部屋で配布された選挙公報を読んでいた。そのとき息子が来て「みせてくれ」と言った。
彼は僕がスポーツ新聞の競馬面を読んでいるときも、よくちょっかいを出してくる。そしてだいたいこう言う。「~~は勝てないよ」と。
選挙公報を見ていた彼は、驚いたことにほとんどの候補者の名を覚えていた。そして「とうちゃん、○○と○○はダメだよ。ウザイから。」と言った。
興味が出てきた僕は詳しく聞いてみた。どうやら同じ名前を連呼するのにも、スっと入ってくるのと拒絶してしまうパターンがあるらしい。そしてそれは音量の大小は関係ないと言うのだ。
「とくに○○はダメ」
「なんで??」
「一生懸命なだけだから」
ほほう、と思った。
もちろん大人の僕は自分できちんと選んで投票するつもりだし、そもそも彼の競馬予想もほとんど当たったためしがない。
だが「一生懸命なだけではダメ」という言葉がやけに耳に残った春の夜であった。