クルマで郊外を移動中、ふと遊び場をみつけた。公園とまでは呼べないような広場である。
そこをしばらく眺めていたら自分が幼い頃のときを思い出した。
「なぜ、現在の公園には箱型ブランコがないのだろう?」
気になったので事務所に戻ってからネットで調べてみた。どうやら過去に重大事故が発生したことから、全国で撤去の動きが始まり、近年ではほとんど公園から無くなってるようだ。
確かにアレは危険を伴うだろう。何しろ子どもはスリルが大好きな生き物だから、遊具でおとなしく本来の遊び方をしてくれるとは限らない。
僕らが幼い頃によくやった、公園の木やトイレの屋根に登ること、除雪で道路脇に山積みとなった雪の上を歩きながら帰ることなど、現代においてこれらは全て怒られる。
稀に「何でも禁じられて今の子どもたちは可愛そうだ」という大人がいる。
果たして本当にそうだろうか?
別に木登りもトイレの屋根に上がったことも、雪山を歩くことも、僕にとってそんなに重要な思い出でもなければ何かの役に立ったとも思えない。
万に一つでも命を落としたり、もしくは一生背負ってしまう傷を負うようなリスクが考えられるなら回避した方がいいに決まっている。先人たちはきちんと「改善」をしてきたのだ、と僕は信じている。
登ることや雪の上を歩く体験なんて他でいくらでも代用できる。そして「ルールを破る蛮勇」を実行したい子はいつの時代も一定数存在するし、そういう子はきっちりどこかでそれを味わっているはずなのだ。心配無用。
そんなことより僕が気に入らないのは「最近の子どもは元気が無い」という前提で話を始める輩がいることだ。
断言するが、僕が子どもの頃も現代の子どもたちも元気さなんて変わらない。もともとそれについては思うことがあったから、先日自分の町内に配られる会報紙の原稿を僕が担当する機会を利用して、ちょうどいいやと思いっきり書いてやった。そしたら後日やんわりと修正されていたがまぁいいだろう。
今も昔も総じて子どもは変わらない。変わったのは数が少なくなったことだけだ。そしてそれは我々親世代のせいにされちゃ困る。
もし少子化を他人事のように嘆く老人がいるとするならば、まずは自分たちの胸に手を当てて考えてみることから始めるがよい。