流れる川の景色に

写真を撮る人には理由があると思うが、ざっくり言ってしまえば、時間を停止させてでも目の前の被写体を他者に伝えたいからだと思う。

もちろん僕もそう。

自分の息子、息子の友だち、そして彼らが所属するコミュニティである学校。それらを愛しているから自分なりに最善を尽くし最高の記録をしたいし、おおげさに言えば、そういったことはカメラという機械を扱える者がその場に居合わせるならば、見過ごしてはいけない義務だとも思っている。

願わくば写真や映像を通し、子育てにおいて同じような想いを抱いている人達と愛情を共有できたら本望だ。

もちろん全員がそうだと思ってはいない。寂しい話だが、中には自分の子どもが写っていない記録物にはまるで興味が無い人もいる。まぁこれはアンテナの問題だからどうしようもない。

ただ、そうじゃない人がいることを僕は知っている。他人の子どもが主題の写真をみて涙が流せる人はたくさんいるのだ。それを豊かな感性と美しい心を持ち合わせた人だと僕は思っている。そういう人達と出会っていきたい。なるべく一人でも多く。

・・・なんて少々かっこつけてみたものの、それらは僕が写真を撮る上で、せいぜい半分ほどの理由である。

もちろん僕は好きで写真を撮っている。毎日小さいカメラを携帯し、ときには大きいカメラを首からぶらさげて、何か引っ掛かったものをこまめに撮っている。そして最近これは自分のインサイドを探っている行為なんだなということに気づいた。

ところで僕はどうやら川が引っ掛かるらしい。自分が撮ったものを見返すとやけに川の写真が多い。それも小さな川。

これは自分の名が「小川」だからだろうか?と考えてみたりもしたが、いやいやそんなはずは無いだろう。

僕は流れる川の景色に何を探しているのだろうか?

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