人生には「ウマが合う」人と出会う機会が稀に訪れます。
もちろん僕にもそういう縁があって、例えば近年では金年度から息子が通う小学校のPTA会長に就任したMさんや、もっと最近でいえば5月に酒田子ども祭りのスタッフを一緒にやった隣の学校のKさんとかもそうでした。
気が合うとか価値観が合うこととちょっと違います。何かを一緒に進行したり、あるいはたわいの無い話をしてたりしててもポンポンと事が先に進む相手のことだと思うわけでして。お互い皆まで言わなくともわかるみたいな感覚。
これは年齢とか付き合いの長さ、あるいは性別違いなどはあまり関係ないみたいで、その証拠に僕にも工藤ゆうか先生というウマが合う女性の友人がいましてね。
考えてみればまともに会話をしてから4年も立っていないんですけどね。もちろんドラム楽器という共通項がありましたが、どちらかというと「音楽に対するスタンス」の方がシンパシーを感じた記憶があるんですよ。
さて、そのゆうか先生が今朝ブログで面白いことを書いていました。
「感情が音楽とリンクする」—ゆうか先生のブログより。
僕が考える「音楽」の特性はいくつがありますが、その中のひとつとして、例えば長年耳にしていなかった曲を一たび再生すれば、それを飽きるくらい聴いていた頃の感情に一瞬でタイムスリップすることが挙げられます。
つまりそれは自分のアイデンティティに強い印象を残すような音楽と出会うと、そのときの感情をそのまま紐付けすることを意味するんじゃないかと。
じつはこれって長所でもありますが場合によっては人を不幸にもする要素でもあります。発する者も受ける者もその強烈な印象という過去の瞬間と戦わざるをえないループに入り込むことになるからですね。
もちろんこれは他の表現物にも当てはまることなんですが、こと音楽に関しては一番顕著な気がするし、さらに言えば音楽って受け手が表現者に人間性まで求めてくることも多いんですよね。
これを脱するには音楽という単体を、きちんと音楽として捉えるスタンスがお互い必要なのだと思います。
僕もずいぶん苦労したクチですが、いちリスナーとして今はそのフェーズから脱することが出来ました。もちろん偶然の産物ですが、これは全てカメラを手にし写真を撮り始めたからだと思います。
それはつまり写真を撮る行為って良くも悪くも右から左へコピーする部分から脱することは出来ないと思うんですよ。
もちろん絵画のように写真をアート作品として作りこんでいく世界もあります。脳内にあるイメージを色んな手段を駆使して丁寧に作りこんでいくといった意味で。
けれども僕がアホのように毎日カメラを持ち出してやってることの到達点は、どうやらそうではないらしい。
つまり静止画撮影機が持つ最大の特徴である「目の前の出来事の時間を止める」という機能を、自分なりのリズムとベストなタイミングを駆使して最高のコピーや記録をしたいってことに尽きるんじゃないかと。
それに最近気づいてからですかね、写真はしょせん写真なんだな、と。
御幣があるといけないので弁解させて頂くと、ここでいう「しょせん」というのは、結局のところ自分の意図でコントロールできない部分が大きい以上、逆にその自分というものを写真に投影させようとするのは悪手なんじゃないかと思うようになりましてね。
昔、美空ひばりさんが「歌の世界に入り込まないようにしている」とおっしゃってた意味はこれなんじゃないか、と。彼女はたぶん歌を届けることに専念する本当の意味での歌い手に徹しようとしてたのかな、と。
とどのつまり僕が目指すところは、シャッターを切る人間がけしてそれより前に出ることがないモノであり、正しい記録が前提で、なおかつ気持ちがいい視覚ブツとして現実からコピーしてくる技術を持ってる人。目指すのはこっちだな、と。
それからですかね、写真は写真、音楽は音楽。もちろんそれを手掛ける人の人間性が垣間見えることはあっても、こちらからそれを求めたりはすることはない。
残ったのはその表現物に触れた場合の好きか嫌いかだけ。自分にとって気持ちいいか悪いかだけ。
結果、そいつがどんな人生を送ってきて、いまどんな生活を送っているのだとか、いいやつだとか悪いやつだとか、他に仕事をしているだとか、それだけでメシを食ってるだとか。
そういったわりとどうでもいいことを写真や音楽を利用して自分を売ってるヤツが簡単に見分けられるようになりましたから楽しいですよ。
そんなところに今日のゆうか先生の記事でしたから、ヘェ~と思いましてね。ですので持論をズラズラと述べさせて頂きました。
そういえば昔ストーンズ、というかミックジャガーが悪魔の子だの不吉な預言者だなんだ言われてメディアで叩かれまくったときに、「イッツ・オンリー・ロックンロール」という曲を引っさげて「おまえらバカか?ペンでおれを殺す気か?たかがロックンロールじゃねぇか。おれはただそれが好きなだけなんだよ」とやったのは痛快ですね。あの時代のロックンロールって音楽以上の何かを求められましたからね。
ではまた。