風に吹かれて

酒田の桜も一昨日あたりから散り始めた。

白い花びらがひらひらとまるでその部分だけスローモーションをかけたように地面に落ちていく様子を眺めていると、25年ほど前によく見たとある光景が目に浮かぶ。

当時僕は東京の中央沿線である高円寺という街に住んでいたのだが、その日の気分で隣の中野駅まで歩いて電車に乗ることも多かった。

中野駅に向かう途中には桜の木が数本ほど並木になっていて、シーズンが終る頃には花びらが途切れなく舞い落ち、下にいる路上生活者のダンボールハウスの屋根に積み重ねてくのだった。

現在の僕ならすぐにポケットからコンパクトカメラを出し、ドキュメンタリー写真家気取りでその対比を撮影しただろう。そして恐らく液晶モニターを確認したのち、すぐにそのデータの削除もするだろう。

僕の性格はいわゆる社会派ドキュメンタリー向きではないのだ。出来れば写真を見る誰かが気持ちよくなってくれるものだけを撮っていたい。そういう部分は音楽をやっていた頃とほとんど変わりはない。

どうやら今日は夕方から雨になるらしい。これでまた桜も散っていくだろう。

それでも桜はまた1年間掛けて力を溜め、来年も鮮やかな花を咲かせてくれるはずだが、我々の世界は1年以上停滞したままである。

このまま戻ることがあるのか。それともいろいろ変わっていくのか。答えは誰も知らない。

いや、それはボブ・ディランが唄うように答えはすでに風の中にあり、僕たちはただ見えないふりをしているだけなのかもしれない。

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