脱・非日常宣言

このスマートフォン時代に、わざわざカメラを使って写真を撮る行為が常態化してる人ってだいたい3つに分類されると思う。

①写真じゃなくて被写体(例えば電車とか花とか女の子のモデルとか)が好き。
②何かの役割ポジション(お父さんとかナントカ係)を与えられている、もしくは自ら就いていて記録を撮る必要がある。
③写真という創作物が好きで、その文化が持つ可能性を追求したいと思っている。

で、僕は②&③タイプなんだけれども、最近③の方の自分の写真に不満を抱いてきた。

これは今年の4月10日に日和山公園で撮ったもの。我が港町酒田を表すかのように海が見え、風力発電の風車も見え、そして夕陽に照らされた桜は綺麗で、春のとある一日に訪れた非日常の瞬間を収めている・・・なんてちっとも思えない。

こういう散文的で説明的な写真はもう撮らない。いや撮る。でもこういったのが重要なのは②の場合なので、③において極力撮ることをやめたい。

そもそも考えてみれば、日常の中に非日常なんて無いのではなかろうかと思ってきた。無いからこそ人は旅行に出かけるし、山にも登るし、週末だけを楽しみに日々を切り抜けようとするわけで。

誰にも等しく訪れ、誰もがクルマでブーンと行くことが出来る場所から撮影した、例えば朝焼けや夕焼けや青い空。そして季節に咲く花たち。それらは全てありふれた日常なのではなかろうか。

とはいっても僕は日常において写真を撮る意味を失ったわけではない。もっと突っ込んだところ、いわば日常と非日常の狭間に訪れる刹那的なものの上辺だけすくうように撮っていきたいなと考えた。いや、そう決めたのだ。

しばらくここのブログも変な写真が増えるかもしれません。「ああ、右往左往してるんだな」と温かい目で見守ってやってくださいね。

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