「いい写真」をひたすら投げる—MD W Rokkor 35mm F2.8—

MD W Rokkor 35mm F2.8

少々傲慢に聞こえるかもしれませんが「自分が撮ったやつでいい写真ってどれ?」と聞かれれば「公表しているもの全部」と答えるしかありません。

というのも、世の中には「いい写真」や「いい音楽」「いい絵」と様々ありますが、こういった「いい」という概念は普遍的な価値観で定義することは不可能だと思うからです。

例えばここにあなたがカメラで撮ったいいのかどうかわからない写真があったとします。現時点でほとんどの人にとって何の価値もないどうでもいい写真だったとしても、いつの日かそれを見て誰か一人でも心から愛しく感じたのであればきっとそれはいい写真だと言えるでしょう。

僕は自分で撮った写真を「これはいいな」と思ったものだけハードディスクに残し、その中からブログやinstagram等で公表したりするものもあります。表現はあまりよくないですが、世の中に投げていると言い換えても良い。

じつは僕の写真撮影趣味の目的はこの投げた時点でほぼ終わっています。「俺はこの写真がいい写真だと思うんだけれども君はどう思います?」という問いかけとでもいいましょうか。恐らくその行為自体が好きなんだと思います。

いま思い出したのですが、僕が20代の頃にやってたバンドの音源を聴いたライターが「オガーくんの書く歌詞は救いがないよね。あまりにも言い切ってしまう。共感を得ようとか考えないの?」と言われたことがあります。

「ロックンロールバンドが共感を得たくてすりすり歩み寄ってどうすんだ?この三文ライターがっ」

と当時は思いました。いや、今も思います。ただ、ひとつ自分が間違ってたかなと思うのは、僕だって他者の共感は得たいタイプなわけで、だからこそ現在も撮ったものを臆面もなく公表するわけです。ただしその「共感を得る」ということが最大の目的ではないというだけ。

撮って、自分がいいと思った写真をただ、ひたすら投げる。それに対し他人の共感を得ることもあれば、無反応のときもある。そしてまた撮る。

ビジネスやコンクールのためというのであれば話がまた違ってくるでしょうが、僕にはそういう目的は一切ありません。ですので「いい写真」の基準は常に自分の中にあり、また、それはとても健全なことだと思っています。

ということでここ数日で撮った僕の「いい写真」をご覧ください。ではまた。

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