ラジオドラマで欲求を満たそうかと

散文的日常記録

「クルマを替えたらロック音楽を聴かなくなってしまった。」

…唐突に何を言い出すんだコイツは?と思ったかもしれないが実際そうなのだ。車内空間やシートの座り心地など、全てにおいてあのクルマで聴く音楽において、ロックンロールミュージックが一番ふさわしくなかった。聴いてて塩梅が良くないのだ。

快適さを求めて選んだクルマなので当たり前といえば当たり前だろう。ロックンロールは快適な環境で聴くものではない。身も心も風が吹きすさぶ状況に置いてこそ得るものがあるのだ。

だからクラシック音楽ばかり聴いている。マジだ。カラヤンとかそういうの。

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本を読もうと…

ところで先日、市立図書館へ行った。今の場所でリニューアルしてから初めてのこと。駅前の立体駐車場に止めて歩いて行ったのだが不満が二つある。

まず駐車場の全てが狭い。あれはひと昔前の規格だ。今はファミリーカーだって車幅が1.8m前後のものがたくさんあるのだ。もう少しなんとかならなかったのだろうか。

もうひとつ。駐車してからいざ図書館までたどり着くルートが何となく嫌だ。歩くのは別にかまわないが道程が嫌だ。もう少しなんとかしてくれないだろうか。

今回は本を5冊借りてきた。以前から僕は5冊借りる。もちろん全部は読めない。5冊借りれば1冊くらい面白いのあるだろうと思って借りている。

ところが自宅に帰っていざ読もうとしたら全く読めない。老眼がひどすぎる。仕方ないから拡大鏡をかけて読んだが集中力がすぐ切れて全く面白くない。

僕はわりと読書が好きだ。いや好きだった。もはや過去形にさせて頂く。だって読めないんだもん。こうして我が人生においてひとつの趣味が終焉を迎えた。

聴く読書

ところが現代では字が読めなくても本が読めるというではないか。いわゆる聴く読書である。

これなら字が読めなくなったって楽勝だ。よし無料キャンペーン中だし試してみよう。

…結論からいうと僕には合わなかった。読み手と僕のリズムが合わないのだ。というのも本を読むという行為において、自分の場合はリズムが一定ではない。パラパラと読む箇所もあれば、理解しようとじっくり、もしくは何べんも読む箇所もあるのだ。というか誰だってそうだろう。

聴く読書はそういうわけにはいかない。「え?なに?今なんて言った?どういうこと?」というときにでも先に進んで行ってしまう。

それに僕の場合は運転中に試してしまったのも良くなかった。脳のリソースが想像力の方に取られてしまって結構危ない気がした。

よってこれはやめとこうと思った。

たどりついた結論

ズラズラ書いてきたが、要約すると今の自分は2つ問題を抱えている。

①クルマの運転中に聴くものを欲している。

②読書が不可になったことで失った「物語」を欲している。

こう書いてみるとわかるのだが、要は「ひまつぶし」が欲しいのだと思う。これまでだってロック音楽や小説を読むことに対して知識とか教養とかを求めて自分を高めようなど思ったことは無い。そのとき何だか顔面が高揚したり心が1mmくらい震えたりとそういった程度だ。簡単に言えば一瞬の快楽のみである。次の日には聴いた、あるいは読んだ内容を忘れてしまって構わないのだ。

で、たどりついた答えが「車内ではラジオドラマを聴く」である。

なんとこれが最高だった。ほんの朗読と違い、もともとラジオの前のリスナーのために作られている内容だからすんなりと話が入って来る。

僕の場合、日常的な運転時間は少ないときで1日1時間、多いときで3時間。これが繁忙期になると1.5倍から2倍になる。僕が聴いている番組は1本50分程度なので、1日1本か2本聴いてるが本当にいいヒマ潰しになるのだ。

ということで

もともと僕はラジオ世代である。昭和という時代は生活にラジオが密接していたのだ。

母親はラジオを聴きながら夕飯の支度をしていたし、僕も小学校も高学年になるとラジオを買ってもらって音楽番組やプロ野球中継を聴いていたし、中学に入れば流行りのヒットチャートのチェックも全てラジオ。そしてもちろん深夜番組もこっそり聴いていた。

もちろんラジオドラマも好きで、大人になってからも長距離の出張からクルマで夜に帰って来るときなどNHK-FMのラジオドラマを聴きながら深夜の国道を走るあの不思議な感覚がとても好きだった。

ということで全ての老眼に苦しむ人々よ。これからはラジオドラマで物語を楽しもうではありませんか。

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