このあいだの日曜日は息子の通う中学の運動会だった。突き抜けたような秋晴れの中、血気盛んな若者たちによるさまざまな意地と意地のぶつかり合いが行われた。
運動会はああじゃないといけない。
全国的な流れであるが、昨今のお祭り化していく運動会が僕は好きじゃない。ああいうのは足腰が衰えた我々だけがやってればいいのだ。
もちろん運動が苦手な子もいる。どうしても運動会では輝けない子がいるのはわかる。だがしかし、そういう子が胸を張って参加できる場を設けるのと、運動だからこそ輝ける子から場をなくすのを同列に考えてはいけないと僕は思うのだ。
熱くなってきた。いったん冷静になろう。
そもそも僕は「無理をしないで頑張ろう」という言葉があまり好きじゃない。無理をしないで頑張るっていったいどうやってやるんだろうと僕はいつも思う。
僕は息子やその仲間たちの剣道のトレーナーだがいつも無理をさせる。正確には「ほんのちょっとだけ」無理をさせる。100メートルダッシュに例えると、いつも110メートルをゴールに設定するような感じ。
じゃないと選手の限界がいつまでたっても拡がらないし、トレーナーとしても「これ以上は無理をし過ぎだ」というポイントを把握できていないと、いざというときのブレーキになれない。
いま、大人は子どもに「挑戦する気持ち」だの「自発的行動」を求めている。だが、本人たちが「ちょっと頑張れば出来るかもしれないな」という体験を持たないと、そもそもそういうマインドは永遠に芽生えて来るはずはないだろうと僕は考えている。
運動会は大事な共通体験の場だ。そしてその共通体験が「あぁ、楽しかった」だけで終わるのはあまりにももったいない話じゃないか。
これからの時代は何より「行動力」が求められる。彼らには「僕には無理だよ」と簡単に口にする大人になって欲しくない。
そのために僕も行動力のある大人の姿を示す。そのために僕はPTA活動に加わっている。