美化された清水屋の思い出と街歩き

散文的日常記録

僕の住む山形県酒田市にある老舗総合デパート「マリーン5清水屋」が今月15日を以って閉店することとなった。

いつかはそういうときが来るんだろうなと思ってはいたが、街のシンボリックな存在だっただけに、いざ現実となると寂しい限りだ。

僕の思い出もたくさんある。現在のマリーン5ビルで営む前のパイレーツビルの頃に家族で食事に何度もいった記憶がある。初めてエスカレータに乗って興奮したことも。

でも、やっぱりマリーン5としての思い出の方が大きい。

正面入り口フロアのドムドムバーガー、4階の服屋さん、5階の中村模型、6階のゲームコーナー、屋上でのヒーローショーやラジコンカー大会。

小学生までは家族やおばあちゃんとの、中学生からは友達との、長い年月を経て美化されつくした思い出を僕もたくさん持っている。

あの頃、街は賑わっていた。そして今はそうとはいえない。

90年代以降、商業エリアが郊外に移っていったことや車社会に対応できなかったことなど、さまざまな要因はあるだろう。けれどもそれはここ酒田だけの話ではなく、日本全体がそういう流れだったのだ。商業が街の中心から郊外に移ったその主流は、現在ではネットショッピングに移り変わっている。そしていずれはまた何かに変わっていくのだろう。

僕の父は町の生まれだった。現在でいう二番町というエリアの商売人のせがれとして生を受け、青年期まで町で過ごした。結婚後にいま僕が住んでいるところに住居を構えても、何故か彼の本籍はそのままだ。いかにも昔の酒田人らしい発想だが、町の子としてのプライドがそうさせているのだろう。

僕が高校生の頃まで、彼は決まって日曜日の15時になると自転車に乗って街に向かった。

レコード屋や本屋を巡り、2000円ばかりパチンコを打ち、勝っても負けても行きつけの飲み屋に顔を出し、21時頃に帰宅する。何年もそれを繰り返していた記憶がある。

僕は年上の人たちを羨ましいと思ったことはあまり無いが、このように休日を街で楽しむルーティーンをたやすく持てた世代を羨ましく感じる。

だからなのだろうか、僕はそんな父親をなぞるかのように、現在の閑散とした街歩きをたまにする。小さいカメラを片手に写真を撮る。

けれども、そのとき写しているのは令和3年の街ではなく、自分の中にある美化された過去の思い出と、先人たちに対する羨望なんだろうなというのは薄々気づいてはいた。

それでも僕は街を歩くし、息子にも街歩きをする楽しさを知って欲しいと思う。街を歩くということは、自分が主人公を気取れるという数少ない疑似体験だという気がするからだ。その疑似体験から溢れ出てくる発想や観念は絶対に貴重なんだと僕は思う。

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