中学生剣士の朝は早い。ゴールデンウィークも何も関係なく、今朝も8時から体育館で練習、明日は練習試合である。
というか中学で剣道部、いや部活動で運動部を選択するというのはこういうことなのだと、小学生の頃からは本人には言い聞かせていた。長い人生、連休も関係なく何かに打ち込む時期があってもいい。
で、当然僕も一緒である。今日はコーチの先生が一人しかいないというので、全体を見るのはその方に任せて、僕は新入部の未経験者である女の子にマンツーマンでのコーチングをした。
10時には終了。自宅に戻り、いろいろ済ませて昼ご飯を食べたら寝てしまった。目が覚めたのは15時だっただろうか。
妻は出掛けており、息子が一人暇そうにしてたので街でも散歩でもするかという話になった。僕はいつものα7IIを用意し今日のレンズは何にしようかなと一瞬迷ったが、広角のオールドレンズ、ミノルタのMC W.Rokkor-SI 24mm F2.8にした。
このレンズは僕が所持しているオールドレンズの中でも3本指に入るほど描写が好きなレンズだ。でも、たぶんこれまで街を撮ったことが無かった気がするので今回選択した。
夕暮れの街
クルマを停め、適当にぶらぶらすることに。やたら天気がいい。少し汗ばむほど。
光が綺麗であるなら、それだけで写真を撮ることには意味があるのだ。
こういうクルマが走ってるのもゴールデンウィークならではといったところだろうか。
自転車も気持ちよさそう。
さて、ここから書くことは、人によっては気分を害することになるかもしれないので最初に謝っておきたい。ごめんなさい。
とにかく街を人が歩いていない。商店街はシャッターが下りている店舗だらけだ。以前はいくらなんでも清水屋(写真に写っている閉店したデパート)やト一屋(最近閉店したスーパー)目当ての地域の方などを見かけることもあった。ところがいよいよ本当に人が歩いていないのだ。
「何でここが街と呼ばれているのかわからない」みたいなことを息子が言った。彼は皮肉で言ってるのではなく本当に疑問らしかった。
僕はうまく説明できなかった。自分の小さい頃の思い出や昔は栄えていたということの説明はしたが、それはしょせん「かつては街だった」という話に過ぎない。なぜここが街と呼ばれ、なぜ僕がそこの写真を撮っているかの説明にはなっていない。
つまり僕はかつて街だった場所の幻を撮ってるに過ぎない。
「お前はこのあたりを歩いても何も感じないか?」と息子に聞いた。「酒田まつりのときに屋台がたくさん並ぶ通りなのは知ってる」と彼は言う。当たり前だが彼にはこのあたりが栄えていた頃の思い出が無い。つまり彼にはなくて僕にはあるものは、ただ「思い出」という一点だけである。
ただ、興味深かったのは↑の屋台村を通った時の話である。彼は「俺はこういう場所なら好きだ。小さいお店が立ち並んで人がギューギューいそうなところ」と呟いた。これは不思議だ。もちろん彼は飲酒体験は無いし、居酒屋めいたところに連れて行ったことも無い。都会のストリートスナップにもこういった路地が好んで撮られることが多いが、これは老若男女問わずでピンと来る何かがあるのだろうか。
「父ちゃん帰ろう。バッティングセンターに行こう」というので街を後にした。
街とは何か?
バッティングセンターの帰りの車の中で息子が言う。
「俺の学区は歩いてる人がたくさんいる。バッティングセンターはあるし、ファミレスも、スーパーも本屋もある。学校帰りにはスターバックスの中に人がたくさんいるのが見える。」
もちろん商業店舗がたくさんあれば街かと言われればそうではないのを僕はわかっているが、では地元商店街が活気があったら街なのかと問われれば、それはそれで違う気がする。
ただ、ひとつ。今後僕は「かつて街だった場所」を懐かしんで積極的に写真を撮るのはしばらくやめることにする。
そしてこれからの僕の路上スナップは息子が言うところの「俺の学区」にシフトしてみようと思う。