先だっての日曜日は新チームになって初めての大会でした。結果は男子団体と個人で優勝を果たしました。
会場は他校とはいえ見慣れた選手たちでたくさんでした。引退した3年生たちも応援に来てくれてるようです。
男子個人の決勝戦は同門対決となりました。相手はうちの副キャプテンです。普段からやり合ってる同士ですがお互い噛み合う剣風なのであっさりと決着がつくかなと僕は思ってましたが、延長に延長を重ね、9分05秒経過したところで息子のメン打ちが一本となりました。ほんの数センチ、もしくはほんの0コンマ何秒ズレてたら副キャプテンのドウ打ちが一本になってたでしょう。それくらいきわどい決着でした。
僕は親なのでもちろん息子に勝ってもらいたいとは思ってましたが、この伝統ある大会でうちのチームの二人が決勝戦を戦えるという時点でほとんど満足してました。
正直に言えば彼らを羨ましく思いながら二人の試合を眺めてました。
話は1985年にさかのぼります。
僕も彼らと同じくらいの時期に剣道少年でした。そんなオガー少年には小学校3年のときから剣道のライバルであり、また、親友と呼べる仲だった渡部君という子がいました。
彼は小3で転校してきました。家が同じ方向だということで担任の先生に世話係を指名され、その日から仲良くなりました。剣道をやっていると僕が言うと彼も入門しました。運動神経が良かったのでぐんぐん強くなっていく姿を覚えています。
6年生になり、彼は先鋒、僕は大将というポジションでたくさん大会に出ました。中学になってからも秋の新人戦で1年生でレギュラーに選ばれたのは僕と渡部君で、地区大会では優勝しました。
でも、何故か二学期の途中から、彼は学校に来なくなりました。
先生たちに何度も何度も僕は話を聞かれました。
「悩んでる様子はなかったか?」
「じつは先輩に暴力とかふるわれてなかったか?」
「知ってることは隠さず言ってくれないか?」
僕は本当に心当たりがありませんでした。本当に何も無いのです。
先生に頼まれ、毎朝迎えに行ってもお母さんが申し訳なさそうに出てきて「ごめんね」という日が続きました。部活が早く終わった日なんかも遊びに行ってみたけど玄関で呼ぶ僕の声に対して返事はありません。
ところがある日、渡部君から「遊びに来ないか?」と電話が来ました。僕はファミコンのソフトを2本持って遊びに行きました。「キン肉マンマッスルブラザーズ」と「ドルアーガの塔」です。
家に上がってみるとお父さんもお母さんもいませんでした。二人で茶の間のテレビに繋いだファミコンでゲームを楽しみました。でも、学校のことや剣道のことは話さなかった気がします。
日も暮れたのでそろそろ帰らないといけなくなりました。僕は持ってきた2本のゲームを置いて帰りました。そうすればそのうち学校に来るような気がしたからです。
そして冬になり、そろそろ春も近づいてきたかなという頃、渡部君のお母さんがうちにやってきました。手にはあの日置いて行ったファミコンのソフトがありました。
「ごめんね、これ借りっぱなしで。じつは引っ越すことになったの。本当にごめんね。今までありがとうね」
渡部君のお母さんは僕の両手をずっと握りしめ泣きながらそう言いました。
二年生になりました。夏になり、今の息子たちと同じように新チームに代替わりし、僕はキャプテンに選ばれました。でも、もう渡部君はチームにいませんでした。
なぜ、彼は僕の前から消えたのでしょう?今でもときどきそう思うことがあります。僕が何か嫌なことをしたのだろうか?それとも僕に言えない悩みでも抱えてたのだろうか?答えはわかりません。
そんなことを考えながら息子たちの決勝戦を観てました。
帰りの車の中、まず彼の今日の頑張りを称えた後、僕は言いました。
「お前は幸せな奴だぞ。練習で培ったことを思いっきり出せる相手がいて、それをみんなが観てる前で勝負できて、たくさんの人におめでとうとまで言ってもらえるんだからな。あいつだけじゃない。チームの奴らだって、他チームの子たちだってそうだぞ。みんなほとんど差が無いから、いつもヒリヒリしたような紙一重の勝負が出来るって、これほど剣士にとって幸せなことはない」
「父ちゃんはそういう相手いなかったのか?」
僕は「いた」と言いかけやめました。
「おれは強すぎたから相手がいなかったんだよ」
今日は息子が勝ちました。でも、別の日は副キャプテンが勝つだろうし、また別の日はチームの誰かや他のチームの子が勝つでしょう。そしてそうはさせるかと息子も頑張るでしょう。
そういうかけがえのない日々を全力で駆け抜けていってほしいと心から願います。