戦え男よ。

子育てやPTA

僕はひと月に1度、かかりつけ医に降圧剤をもらいにいっている。

僕自身の血圧が『薬を使ってでも下げないと命に係わる』ほどでも無い数値だと思うのだが、とにかく現代では血圧が高いととても面倒だ。献血も出来なければ親知らずを抜く際の処置にも支障があった。今後、さらに何らかの手術をする機会が発生し、そのときにいちいち血圧が基準値より高いことが妨げになるのは不愉快だ。だから薬でも何でも使うのだ。

そして、今月もその薬の残りが切れそうになったので先ほど行ってきたのだが、医院の駐車場の後ろが息子が卒業した小学校のグラウンドになっていて、ちょうど運動会、いや昨年から名称が変わったスポーツフェスティバルのリハーサルを行っていた。

僕は駐車場からしばらくその様子を眺めていた。名称や内容が変わっても、青空の下、砂埃が舞うグラウンドで子どもたちが懸命に活動する様子というのは大変いいものだ。美しいとさえ思う。

僕の息子はその名称が変わる前の最後の大運動会で黄組の組頭を務めた。たかだか2年前のことなのにずいぶん遠い昔のように感じる。

僕が親として彼を見てきた中で、転機…というか覚醒したのは2度あって、まず最初は小学3年生時のクラス替え、そして2度目はこの運動会組頭として優勝したときだと思う。この瞬間、リーダーというポジションの苦労の先にある、その倍以上の充実感を味わった彼は、中学生になった今でもその路線を突っ走ろうとしている。

文科省の方針なんだろうが、今の義務教育はなるべく勝ち負けという要素を薄くしている。運動会はスポーツフェスティバル化し、合唱コンクールは合唱祭だ。

だが、時代に寄って学校教育方針がいくら変わろうとも、社会の本質は競争であり、椅子取りゲームである。好むと好まざるに関わらず、この国が資本主義経済を選択している限りこれからもそれは変わらないだろう。

だからこそ僕は息子が剣道を、いや、部活動で運動部を選択してくれて本当にラッキーだと思っている。

仲間と力を合わせて、時には助け助けられ、ただ、ひたすら勝利を目指す。たくさんの周囲の期待と、負けるかもしれないという恐さを抱えながら、それでも勇気を振り絞って試合場へ一人で入っていく。

こういった経験がもたらすものはお金では買えないし、たくさんの本を読んでも得ることは出来ない。

今のうちに山ほど勝負しろ。そしてとことんタフになれ。

戦え男よ。

タイトルとURLをコピーしました