長いようで短かったオガー的2024年の11月。いろんなことがありましたが、やはり父親の死は大きいですね。
彼の晩年は癌という病気との戦いでした。最後の夜は大好きな相撲を観て、夕食に寿司を食べ、絶対にやめなかったパイプ煙草をいつものようにふかし、その数時間後に呼吸困難により救急車で運ばれ、翌朝に息を引き取りました。享年80歳。
なるべくなら俺もそうやって死にたいもんです。
季節は冬に
11月2日。昨年に引き続き二学年PTA主催の大芋煮会。あいにくの雨で屋内開催となりましたが、100名近くの参加者で美味しい芋煮、じゃがバター、フランクフルトに焼きマシュマロを楽しみました。
カメラを持って港の方を散歩した朝。
以前書きましたが、僕は自分が影響を受けたロックミュージックの世界観に出てくるようなスナップをこれからも撮ります。この町で。趣味として。
父の葬儀はめったにない快晴の日でした。旅立ちにとてもふさわしい日だと思います。この写真は全てを終えた夕方、カーステからレット・イット・ビーが流れてきたのでなんとなく遠回りして帰ったときに撮ったもの。
季節はどんどん冬に向かっています。
例えば1年後の自分の生活がどう変わっているのかはわかりません。でも、それって当たり前のことなんですよね。とりあえずあの日聴いたレット・イット・ビーは忘れないようにしたい。
ということで
そういえばウチの息子、いまどん底なんですよ。
①剣道の新人戦県大会で足の痛みの悪化によりほぼ棒立ちで戦いチームが優勝を逃す。
②生まれたときからずっと一緒に暮らしてきた祖父がいなくなる。
③生徒会長に立候補するも落選。
①は親である俺のせい。②は避けては通れないこと。でも、③に関しては自分で乗り越えなければいけない挫折。
親の立場としてはああいうのに立候補した時点で勝っても負けても美味しいんですよ。生徒会長になってもなれなくても大きい経験値が入るから。
でも、本人はショックみたいでね。1年間続けた生徒会執行部はもちろん、何の委員会にも入らなかったみたいでね。担任の先生が心配して僕に話してくれました。まぁ「俺の息子だからそんなもんすよ。本人はもう俺は剣道で全中に行くと言ってるのでいいんじゃないですか」と答えました。
ただ彼にはひとつだけ「お前がやりたかったことというのは生徒会長とやらにならなければ実現できなかったことなのか?」と話しておきました。
いつの時代も世を動かすのは権力者じゃなく民ですよ。そのことに気づいてくれればいいけど。
ではまた。