追憶のスポーツカー

散文的日常記録

今日顧客先の駐車場へ懐かしいスポーツカーが止まっていた。トヨタの二代目MR2である。これからレストアしてナンバーを取るんだそう。

1990年前後は世の中にスポーツカーがたくさん放たれた時代だ。特に89年が伝説の幕開けになるのだろうか。スカイラインGT-Rの復活と本格ライトウェイトスポーツのユーノスロードスターのデビューの年だ。翌90年にはホンダがNSXを、そして91年にはマツダが新型RX-7を発売した。

僕はまさに10代後半である。スポーツカーに限らず、不良が好む型落ちセダンも多く中古市場に溢れていたため、高校3年時には就職組が「卒業したら何に乗るか」をよく話題にしていた。

卒業後、僕自身は上京組だったのでクルマは持てなかったが、夏や冬に帰省した際、就職組と遊ぶと決まってクルマ自慢大会になり、それはそれで不快ではなくむしろ聞いてる方も楽しくはあった。

語弊はあるかもしれないが、昔、男の子はみんなクルマが好きだった。そして娯楽の一つとしてクルマがあった。

月曜から土曜まで汗水流して働く。土曜の夜だけが最高の楽しみ。出会いを求め、刺激を求め、一晩中クルマでウロウロする。そのまま遊び続けたあとに明け方の景色をみて感動し、帰って昼過ぎまで寝る。地元に残った連中のそんな週末の過ごし方を見て、当時19になる僕はちょっとうらやましくもあった。

それから7年後に僕は地元にUターンしてきた。

しばらく家族のクルマを使わせてもらっていたが、やはり自分のクルマが欲しくなり8年落ちのユーノスロードスターを買った。確か乗り出し80万円だった。

約7年乗った。休みのたびに地図を片手にあちこち行ったのもあり、5万キロだったメーターは19万キロに達していた。最後にはエアコンも壊れたので廃車にした。

その後、R32スカイラインに乗り変えた。13万キロ走ってたクルマを10万円で親戚の勤め先の人から売ってもらった。13万キロだろうが10万円だろうがスカイラインはスカイラインだった。僕は初めて「スムーズに回るエンジン」というのが、この日産の直6エンジンを体験してようやく理解した。

もともと1年残ってた車検を通し、そしてその2年後の車検は通さず廃車にした。特に大きな故障は無かったが総走行距離が20万キロを超えたし、妻と結婚するタイミングだったので何となく独身最後のクルマにしたかった。

というわけで僕が人生においてスポーツカーと呼ばれるものを所持した経験はこの計10年間である。その後は息子が生まれたので新車のミニバンに乗ったし今は中古のセダンだ。

僕は今の若い人にもスポーツカーを所有する楽しみを味わってほしいと思う反面、難しいとも思っている。

なにしろ車両代が高い。そしてガソリンも高い。僕らの世代はリッター100円を切る時代を過ごしているからなおさらそう感じる。もし僕らが今若者だったら、無駄にクルマでウロウロする遊びなんて出来ないだろう。

それよりなによりケータイ代だろう。僕は若者のクルマ離れの原因はケータイが普及しはじめた2000年前後からだと思っている。だってそれまで無かった月に1~2万円の出費となれば、それは若い人のお財布事情には余裕は無くなるだろう。そしてもちろん若者にとって優先度はケータイ>クルマになるのは当たり前だ。

これは良し悪しではない。ただの時代変化である。僕の時代はケータイ代なんてなかった。だからみんな地方の若者はクルマ中心の娯楽が可能だったんだろう。

もうああいう時代は来ない。特に戻ってきてほしいとも思わない。ただ、自分はあの時代を過ごせてラッキーだったなぁと思うだけである。世の中に趣味性の高いクルマが溢れていた時代を。

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