あのとき歩いた街をもう一度~中野編~

旅行やドライブ

「前回のあらすじ」

1991年、高校卒業後に上京したオガー氏は杉並区高円寺という街に住み着いた。

2年間風呂無しエアコン無しのボロ住まいを経て、その後同じ高円寺内でようやく一般的なアパートに引っ越し5年住む。

98年にUターンするまでの7年間、高円寺、そして隣の中野という街を根城にしたオガー氏。このたび21年ぶりにそれらのエリアを単独で訪れることに挑戦した。

※前回の高円寺編はこちら↓↓

【EOS6D】あのとき歩いた街をもう一度~高円寺編~
8月12、13日と家族旅行でいつものように東京へ行った。今回は珍しく単独行動の時間が出来たので、カメラを持って若い頃に住んでいた街を訪れることにした。僕は未だ年に1~2度ほどあの頃の夢を見る。というより、何らかの理由で妻と子と離れ、いわゆる...
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徒歩で中野へ

じつは先ほど電車で中野を通過したときに薄々気づいてはいた。

「あれ?変だな。何で中野あたりでこんなにたくさん人が乗ってくるんだ?」

僕がこの街に持つ、つまり20年前のイメージはこうだ。

「電車で10分上れば新宿、下れば吉祥寺という大きな街がある。かといって高円寺や阿佐ヶ谷のような貧乏学生が好みそうなカルチャーな街もすぐそこ。自然もありゴミゴミしていない住宅環境を選択するなら三鷹まで行くだろう。つまり中野はこれといった売りもなくいまいち中途半端な街。せいぜい中野サンプラザがあるくらい」

90年代だったらこれは大きく外れてないと思うし、実際に人もそんなにごちゃごちゃしてなかったから、ブラブラするにはとても快適な街だった。

 

 

 

ところが右に見えるような橋みたいなのが出来てるし、そこを下ればちょっとした待ち合わせスペースがあるし、なんだか健全でお洒落な感じになっていた(笑)

 

 

 

そこから見下ろした感じ。すごくいい感じ。左に見えるのが中野サンプラザ。

 

 

 

数年後、取り壊しちゃうんだってね。いわゆる再開発ってやつだね。東京はどんどん変わってくよね。

 

 

 

このあたりがすごく懐かしい。

 

 

 

あちら方面はまた後ほど。とりあえずサイドエリアを攻めてみよう(笑)

 

 

 

ここのパチンコ屋にもわりとヤラれましたよ。

 

 

 

その向かいはミニ映画館だったはずなんだけど無くなっちゃってるね。

 

 

 

知る人ぞ知るフジヤカメラ本店。ちょっとだけのぞいてみたよ。

 

 

 

やっぱ中野はこのサイドエリアがディープなのよ。高円寺みたいなサブカルなディープさじゃなくて、なんというかその一般的なディープ(笑)そういう雰囲気は変わっていない。

 

 

 

 

当時、日本武道館へエアロスミスを観に行ったんだけど、その帰りにやたら興奮しちゃって、この辺を一人真夜中までウロついた思い出がある。アパートという現実に帰りたくなくて、次から次へと店をハシゴした。

 

 

 

それでは表通りのサンロードを行ってみましょう。

 

 

 

あぁ、人がたくさんだ。中野はやはり生まれ変わったのだ。

 

 

 

おぉっと。この中古ゲーム屋まだあったのか。当時すさまじい万馬券を当てた僕は友だちと新宿で豪遊し、ほろ酔いで一人この店に立ち寄りました。

目的はプレイステーション本体。ソフトも5本くらい大人買いして7万近く使った思い出がある。

 

 

 

そして現在の中野を代表する観光エリアといえば中野ブロードウェイ。その噂は酒田にいても聞こえてきましたよ。ヲタクの聖地だって。

この日も海外のそれっぽい人がここで写真取り巻くってました。

 

 

 

お、昔よく行ってたゲームセンターだ。

 

 

 

このあと深いエリアに突き進んでいくわけですが、いやー、おっかなくて写真なんか撮れません。というよりああいう人たちを撮ってはいけません。僕の良心です。

それにしても・・・昔からブロードウェイはマニアックな雰囲気があったけど、そこの部分がかなり特化しちゃってたね。

ぜひその目でお確かめください。と言っても、アニメとかそういうの興味ない人は全く面白くないと思うけどね。

というわけで

前回の高円寺編から引き続き今回は中野を歩いてみました。

中野は変わったね。もちろん良化した方ね。ずいぶん住みやすい雰囲気になったんだなと思う。

高円寺に降りたときには、何だかつい最近までここに住んでたかのような妙な感覚があったけど、中野は完全にビジター気分になれた。良かったと思う。

というのもあれから20数年経ってるわけだ。僕も街もお互い変わるのは至極当然。高円寺だってじつは変わってるのだろう。ただ、僕が気づいていないだけ。

人生のルート選択って一度しか出来ないから「あのときああすれば」という考えに至るのは健全ではないし、僕の場合は特にどう考えても現在の選択ルートで間違っていない。

だけどやはり心の奥底で「もし」があったんだろうと思う。そして今回の数時間の散歩で改めてそれを知ることが出来た。間違いなくあのまま東京に居座っても、今より楽しい人生になってるとは思えない。

それを知りたくて、というよりずっと確信を持ちたかったのだろうな、と思う。本当に良かった。

何よりあの7年間はただの思い出。思い出はいつもきれいなもの。

今回その美化された「思い出」を「記憶」にしっかりと置き換えることが出来た。それはカメラで「記録」したからだ。

もし数年後、また記憶が思い出へと美化されそうになったら、この記録写真を眺めることにしようと思う。

ではまた。次に来たときはいよいよ新宿だな。

※前回の高円寺編はこちら↓↓

「あのとき歩いた街をもう一度~高円寺編」—2019.08.14投稿。

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