あのとき歩いた街をもう一度~高円寺編~

8月12、13日と家族旅行でいつものように東京へ行った。

今回は珍しく単独行動の時間が出来たので、カメラを持って若い頃に住んでいた街を訪れることにした。

僕は未だ年に1~2度ほどあの頃の夢を見る。というより、何らかの理由で妻と子と離れ、いわゆる単身赴任でもう一度東京のアパートで独り暮らしをしなくちゃいけなくなったという類の夢だ。ただでさえ「振り返ってみると自分に都会暮らしは合わなかったなぁ」と思っている僕からすると悪夢に近い内容である。

しかしあれから20年以上経ってるというのに、結構な頻度で夢を見るということはきっと何かあるのだろう。それらに決着をつけるために今回は行ってみることにしたのだ。

ちなみにUターンしてから数度それらの街を訪れたことはあったが、単独で歩くのは今回が初めてである。

※中野編はこちら↓↓

「あのとき歩いた街をもう一度~中野編~」—2019.08.15投稿。

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水道橋から

今回も酒田から都内まではクルマでやってきた。宿泊はいつものように東京ドームホテルである。ここは駐車場もデカイしどこに行くにもアクセスがいい。そして宿泊費もリーズナブル。

さすがにお盆休みだけあって都内もクルマは少ない。普段ならこういう写真が撮れるチャンスは少ない。

総武線に乗り新宿方面へ。このまま乗換えをせず各駅停車で高円寺へ向かうことにした。

高円寺北口

ホームに下りて改札を出る。あの頃何百回もやった行為。一瞬で感情がタイムスリップ。

まずは北口へ出てみる。変わっていない。細かいところは変わっただろうが、空気が変わっていない。

よく利用した駅近くのスーパー。クリスマスの夜、稼業の帰りに寄り、売れ残りの寿司2パックとワインを買った。その後しこたま吐いた。

好きだった本屋。

当時さんざんボッタくられたパチンコ屋。

友だちから借りたエロビデオ(VHSテープ)がビデオデッキに絡まってしまい、泣きつく思いで駆け込んだ電気屋さん。それにしてもあのデッキは重かった。

高円寺の商店街は変わらず活気がある。

この街の写真は絶対にモノクロの方がキマるし、最初はそうするつもりで撮っていた。だけど途中から色を残したくなった。これはスナップ作品ではなく、僕の私的な記録写真ということを思い出したからである。作品性は地元のカメラマンに任せればいい。

通い詰めたマクドナルド。

変わっていない。ある意味、酒田より変わっていない。

南口へ

メインストリートとバックストリート。これが高円寺の魅力でもある。

この街は北も南もシームレスな雰囲気。いい街だ。

19の頃、バイト代もらった帰りに生まれて初めて一人で入った居酒屋。

当時、このへんでよくシンナー吸ってる奴らがいたっけ。

友だちと酔っ払ってあそこのラヴホテルの看板にイタズラした思い出がある。

阿波踊り開催中の高円寺は文字通り無法地帯となる。道端に酔い潰れた親父がゴロゴロ転がっていた。

僕は高円寺という住所に7年住んだが一度引越しをしている。最初に2年間住んだのがフロ無しだったので、あそこの階段を上ったところにある銭湯に毎日通っていた。

陸橋から見下ろす環状七号線。

このガード下をチャリで渡っているときに買い物袋が車輪に絡んで派手にコケた思い出がある。

よく利用したパン屋さん。張り紙を見るとまだ営業しているみたい。まだ、あのおばさんがやってるのかな。

僕が5年間住んだアパート。

このまま中野へ。じつは後半の5年間のアパートは、高円寺駅と中野駅のほぼ中間にあったため、中野周辺も僕はよくウロついていた。

結局僕にとっての東京とは中野と高円寺、そして新宿の3つなのだ。これ以外の街は最後までビジター気分だったと思う。

というわけで

高円寺は変わっていなかった。大げさではなく、本当にあの頃から20年経ったのだろうか?と思うほどだった。あまりの不変さに軽く傷ついた。僕は変わったからだ。

そんな感傷に浸りながらたどり着いた中野という街。逆にこちらはあまりの変貌振りに驚いた。僕の知ってる中野の空気ではなかった。

続きは次回。ではまた。

※続きはこちら↓↓

「あのとき歩いた街をもう一度~中野編~」—2019.08.15投稿。

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