2020年3月14日土曜日。この日の午前中、東京は桜の開花宣言が行われ、午後からは大粒の雪が降ったらしい。
そんな珍しい日の夜に、土門秀明氏のニューアルバム「雪桜」のリリース記念インタビューが行われた。ただし場所は東京ではなく、お互いの生まれ故郷である山形県酒田市で、Jazz Bar Jazz Rinoというお店の中。もちろん日取りは前々から決まっていたことなので、桜が咲いた日に雪が降って雪桜のインタビューなんて全ては偶然である。
いつものように演奏2曲分とインタビューで構成される動画は3月15日20時に公開された。以下がそれである。
会話の中で土門氏はこう言っていた。
「何枚もアルバムは出してきたけど、故郷をコンセプトに作ったのは初めて。でも、考えてみれば日本人の自分がビートルズだののカバーアルバム出すより、自分が生まれた町からインスパイアされたものを音楽にする方がごくごく自然だよね」
なるほど、と思った。だったら僕はどうなのか?
「ふるさとは遠くにありて思ふもの」というのは室生犀星の有名な詩だが、あれは遠くにある美しいふるさとを懐かしんで詠われたものではなく、遠くに離れてるから美しいのであって、とてもじゃないが帰ってくるところじゃないよという嘆きの詩だという解釈がじつは定説である。
実際、僕が自分の住む酒田を意識するようになったのはここ3年の話で、それはまんま日常的にカメラを持ち始めてからのことである。とにかく3年前の春から僕は自分の故郷の中で故郷を探すような旅に出ている。
過去でも無く未来でも無く、現在の自分が過ごす美しくそして汚らしい日常の中で故郷を求めて写真を撮る。そして恐らくこの行為は一生続く。
そんな僕なりに今回の土門氏のアルバムにとても強くシンパシーを感じる。なぜならこの音楽からはよくある無条件に美化された鼓舞みたいなものが微塵も感じないからだ。ありのままをありのままに奏でている。それは故郷と正面からしっかりと対峙しているというマインドなのだろう。
ふるさとは遠くにありて思ふものだが、我々はそんなこと言ってられないのだ。