Super TAKUMAR 35mm F3.5と暑い夏

Super TAKUMAR 35mm F3.5

僕の友人が思い切って最新のミラーレスカメラとレンズのセットを買った。いまカメラは高いから合計で70万もしたらしい。子どものサッカーと成長記録を撮るためだという。

僕は素晴らしいことだと思う。

子どもの成長は待ってくれない。後で「お父さんな、ようやく本格的なカメラを買ったから、3歳ごろに戻ってくれないか?」と言っても無理な話で、だったら思い立ったときに買った方がいい。

もちろん記録なんて何だって撮れる。撮るだけならiPhoneだって撮れる。だけど残念ながら一度ちゃんとした写真を見た人、撮ったことのある人ならどこまで行ってもスマートフォンが作り出す写真だけで「これで十分だ」とはならない。

あまりこういうことを書くと怒られそうだからやめるが、とにかく70万のカメラとレンズを買った彼もそうなんだろう。それでいいと思う。自分が満足するものを得るにはカネがかかるのだ。一生懸命働いて、カネを稼いで、自分の欲求を満たす。至極健全なことだと僕は思う。

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自分の『満足』を目指す

自分の欲求を満たすという意味では僕だって似たようなもんだった。

最初にデジタル一眼レフを買った夜、缶コーラの写真を撮った。感動した。だけどそのうち「高いカメラを買っても雑誌に載ってるような写真が簡単に撮れるわけではない」ことにも気づいた。

だからカメラという機械をひたすら勉強したし、光の量や向きによってさまざまな写真が撮れることも学んだ。

そうこうしているうちに、その最初のカメラを使い副業として動画制作を始め、それで稼いだ金をほぼ機材のアップデートにあてつつ、小学校ではPTA広報部に入部し、公私合わせて6年間で10万枚以上の写真と数十時間の映像を撮り、それらを合わせて仲間と一緒に卒業記念の動画クリップを作り、卒業生や保護者と共有した。

ようやく満足した僕は、ほとんどの機材をフリーランスのカメラマンをやっている妻にあげた。なぜなら趣味カメラマンの僕にはもう必要ないからだ。

今は一台のSONYのミラーレスカメラと中古で集めた10本ほどの古いマニュアルフォーカスレンズだけが僕の趣味道具である。

軽快なSuper TAKUMAR 35mm F3.5

昨日と今日は、そのガラクタみたいなレンズの中からペンタックスのSuper TAKUMAR 35mm F3.5という1962年生まれのレンズを装着して写真を楽しんだ。

他人様のお子さんのために撮ってるときは、やはりどこかで「上手に撮らなければいけない」という思いがあった。今はもう無い。むじろ「上手な写真」とは言われたくない。ロックンロールでもそうだが「上手」というのは全く誉め言葉では無いのだ。

今はもう何のために写真を撮ってるかなんて僕にもよくわからない。SNSやブログにアップする以上、反応をたくさんもらえば嬉しいが、もちろんそれが目的でやってるわけではない。

そうか。結局は欲求なんだと思う。僕自身が満足する写真を一枚でも多く撮りたいのだ。そしてその瞬間は今日訪れるかもしれないし明日かもしれない。だから僕らは毎日何かしらのカメラを持ち出さねばいけない。

昨日と今日持ち出したSuper TAKUMAR 35mm F3.5なんて、いわゆる『描写がいいレンズ』でもなんでもない。でも、今の僕にとっては軽快に持ち出せるという意味で、この暑い夏には最高の高性能レンズだ。

そしてこの35㎜という画角。僕はこの画角を極めたいと密かに思っている。28mmでも50㎜でもなく35㎜というどこか中庸な画角。これでかっこいい写真を量産出来る男になりたい。

まだまだ写真を撮りたいという僕の欲望は尽きない。そして夏もまだ終わらない。

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