☆ネットの記事で「おじさんの短パン姿はありえない」という記事を読んだ。子どもみたいだの不快だだの汚物だだの、まぁひどい言われようだ。ここは声高らかに反論したいところなのだが、じつは僕も前々からそう思ってるから反論しない。おっさんのスネ毛なんて世の中に1mmの利益ももたらすことはない。損失しか与えない。かといって脱毛や脱色をすればいいのかと問われればそんなわけはない。おっさんが夜なべしてスネを手入れしている姿を想像させてしまうだけで罪深いことなのだ。もちろんバーベキューだの海水浴だの、はたまた運動中だのそういった場合は例外だが、とにかくおっさんは社会に対し肌を露出する意思を示してはならない。それは女性や若い男たちにのみ許される特権なのである。…というルールを50歳を過ぎてから僕は自分に戒めた。だから今年の夏はその戒めを胸に抱えて挑む2回目の夏を迎える。とにかく麻の長袖シャツとパンツだ。それに茶色のローファーと白いパナマハット。この昭和の伊達男のような組み合わせで何とか乗り切らないといけない。今日から約2か月間、頑張っていこうと思う。くじけたらここで報告しつつ、開き直って「おっさんが短パンを履いて何が悪いのか?」という記事を書くつもりだ。
☆このあいだひさしぶりにウンチクがひどいカメラおじさんと遭遇した。よくいる「フィルム時代のカメラこそ至高」ってタイプだ。「フィルム時代の写真は1枚1枚の重みが違った。魂を込めてシャッターを切っていた」というフレーズには思わず飲んでいたメロンソーダを吹き出しそうになった。そんなもんにいちいち魂を込めてたら早死にしてしまうんじゃないかと思う。そもそもじいさんがフィルムをおもむろに巻き上げて魂を込めつつシャッターをカチリと切って撮ったものだろうが、女子高生が片手でiPhoneを連写しまくって撮ったものだろうが、写真は写真なのだ。写真が良ければ僕はなんだっていい。経過なんて知りたくも無いし語りたくもない。
☆いつかの記事で「腕時計なんてスマートウォッチでいや」と書いた。あれを訂正したい。便利なのは確かであるが気分がまるであがらない。やはり洋服にしろ靴に白腕時計にしろ、自分の身に着けるものは気分があがるものでないと毎日が楽しくない。高価なものではない。自分が気に入ったものであるべきという意味だ。僕は長い間、親父からもらった昔のセイコーの自動巻きを使っていた。壊れてしまってもう動かないが、ああいうシンプルなのが好きだ。大きすぎないのもいい。ケースは38㎜以下でないとだめなのだ。そういう時計を探すことにする。そういえばその壊れた時計…すでに50年前後のものであるが、セイコーに問い合わせたらメーカーとしてはもう対応していないとの回答だったが、代わりに腕利きの時計職人がいる店をいくつか教えてくれた。さすがセイコー。日本製は偉大だ。