次に会う時には敵同士だとしても

散文的日常記録

四月も二週目に入り児童や生徒たちの春休みも終わる。いよいよ新学期だ。

昨日は春休み最後の日曜日。午前中、とある新中学生の卒業&入学記念の撮影を妻が行うので僕と息子はその手伝いに行ってきた。場所は先月卒業した小学校周り。2年前に息子も卒業した学校でもある。

彼は4年前、二年生の終わりごろに息子が所属していた剣道スポ少を見学に来た。当時流行っていた鬼滅の刃のキャラクター靴下を履いていたのが印象に残っている。あのアニメの影響で剣に興味を持ったとも言っていた。

当時は新型コロナ真っ只中である。大会も行われず、練習も再開と停止の繰り返し、そして大人も子どもも過度なコミュニケーションは禁止された世の中だった。

そのような状況でも彼は熱心に剣道を頑張った。上級生たちには可愛がられ、特に息子にはなついてくれていた。

息子たちが6年生になると大会が本格的に再開された。4年生だった彼は自分が負けても泣かないのに、息子が負けるとよく泣いていた。息子が小学校を卒業した時には家から走ってプレゼントを渡しに来てまた泣いた。

そんな泣き虫の彼だったが、6年生になるときに主将を命じられ1年を通して団を引っ張り、このたびめでたく卒業した。

本来であれば、この学区の子たちは同じ中学校に進学する。つまりこの春から息子たちと一緒に剣道部として活動できるはずだったのだが、家庭の事情で少し離れた中学校に通うことになった。

だからこの日の撮影はお別れの撮影でもあった。でも彼は泣かなかった。きっとあれから彼はひとつもふたつも強くなったのだろう。息子とのツーショット撮影の時もどこか誇らしげだった。

お母さんが「あいつは〇〇君(息子)がいたからここまでやれた。鬼滅の刃だけだったらとっくにやめていたと思う」と僕に言ってくれた。とてもありがたい言葉である。いつの時代も、どんな世の中でも、魂はリレーされてこそ初めて成立したと言えるのだと思う。

さて、これから彼は相手チームの選手となる。つまり息子と彼は敵同士だ。帰り道、そのことを息子に言ったら「もちろん全力で打ち負かすよ。それが礼儀だ」と言った。

わかっているじゃないか。

 

 

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