上の画像は、先日instagram内において、僕も使っているGRというカメラのファンサイトの公式アカウントからセレクトしてもらったときのものである。このアカウントが紹介する写真はかっこいいのが多かったので、僕もフォローし、ハッシュタグを付けて投稿していた。今回、その仲間として認めてもらったみたいでとても嬉しい。
さて、僕は日常的にカメラを持ち歩いている。特に作品を作っているつもりでも自分を表現しているわけでもなく、ただただ日常の中のひとコマを記録し続けている。このときの写真だって、息子をプール教室に送り届け、待ってる時間にブラブラしてたまたま撮ったものである。
そんなことを毎日繰り返し、撮ったものの一部はここのブログに載せたり、instagramに投稿したりもしている。自分なりに面白いと感じたこと、「こういうのっていいと思うんだけど、もしかして俺だけなのかな?」といった疑問を抱いたときなどに他人に見せたくなるからだ。それをひた隠しにして過ごせるほど、僕はストイックな人間ではない。
特に僕がやってるSNSの中でもinstagramは写真投稿サイトとして使っているので、写真に余計なキャプションは付けず、ただ放り投げるように投稿しているし、また、他人の投稿も文章を読むことは無くひたすら写真だけを流しながら見ている。
よく「せっかく撮った自分の作品がSNSのタイムラインでただ消費されていくのは堪えられない」と言って脱SNSをするカメラマンもいるが、僕はどうもそういうタイプではないらしい。
これは鬼、いや、妻の受け売りでもあるが、写真なんて2秒以上見てもらえれば儲け物だと思っている。逆に言えば2秒すら手が止まらない写真は僕の中では消費されて然るべきものだ。
そもそもブログにしろSNSにしろ、僕がアップしてる写真なんてしょせん日々の生活からのひとコマである。けしてそれ自体をアートだ表現だなんて思ってはいない。
でも、いつかそうやって撮りためた膨大なコマの中からテーマを決めてピックアップし、写真集という作品を作りたいとは思っている。とはいっても具体的なプランは無い。とにかく今はひたすら記録するのが楽しくてやっている。
ただ、ここまで書いてきたことはあくまでも僕の場合、ということ。ひと言で音楽やスポーツにも膨大な種類があるように写真撮影だってそうなのだ。
僕がやりたいのは自らの生活圏内でのひとコマをひたすらかき集めることだが、入念に準備し、その光景が撮れるところまで出向き、もしくはタイミングを待ち、懇親のショットを取るべくタイミングを計るカメラマンの写真も大好きである。ただ、僕はそういうのはやれないし、もっと好きなやり方があるというだけだ。
つまりどこまでもスナップが好きなのだろう。これは今に始まったことではなく、思えばロックンロールバンドをやってたときも、そのへんには拘ってやっていた。体現できていたとは言わないが。
最後に、こうやって人様にセレクトして頂いたり、市のアカウントから選んでもらったり、パンフレットや地元バンドのCDジャケットに使用してもらったりしたのは、GRというカメラで撮った写真が多い。
小さいので一番持ち出すことが多いカメラだからかもしれないが、もしかすると上に書いたような自分のライフスタイルと一番相性がいいのかもしれない。壊れるまで使い倒そうと思う。
…とはいっても壊れたらまた買うけど。新しいのがいいな。