【280日目】早朝交差点観察日記

早朝交差点観察日記

web記事で読んだのだが、とにかく今の世の中のエンターテイメントは効率よく時間が短いのがいいらしい。というのも鑑賞者が耐えられないらしいのだ。

プロ野球は敬遠が無くなった。というか敬遠の場合はそうアンパイアに宣言するだけで成立するらしく、わざわざボール球を四つ放ることが無くなった。

ということは今後、新庄選手やクロマティ選手のように、敬遠の玉をヒットにするドラマが観られなくなったということである。ドカベンの岩鬼のシーンも描写できなくなる。

ボクシングはもっとラウンドを短くしろという声も上がってるみたいだし、サッカーなんて海外の若者は長くてみてられないというし、ドラマは倍速で観るのが当たり前で、最近の映画にいたっては随所に説明的なセリフシーンを散りばめて、途中からの鑑賞でもついてこれるように配慮がしてあるとか。

僕はあまり時代に逆らうようなことを言わないようにしているが、これはとても嘆かわしいことである。

これからのエンターテイメントが、全てあの継ぎはぎだらけの矢継ぎ早にセリフを捲くし立てる、量産型YouTuberたちの動画のようになってしまったらいったいどうするのか、といいたい。

物事には全て「間」が必要である。それは次の瞬間を際立たせるための整える時間といっていい。キース・リチャーズがジャンピンジャックフラッシュのイントロを弾く前のあの独特の間があるからこそ、観衆のボルテージが一気に最高潮へ達するのだ。

昨年、僕は町内子ども会育成会の副会長を務めたが、2度ほど「自分たちの登校班の集合時間を早めていいか」と要望が来た。

というのも、班員の半数以上が5分前に揃っているのにギリギリで来る子が数名いて、寒い日などは早く来た子たちが待ってるのが可愛そうだから、いっそのこと集合時間を5分早めればいいのでは?と考えた保護者からの提案だった。

僕はそれを「ダメです。このまま町内一律にしましょう」と断った。

もちろん後々年度が変わって班も変わったときに混乱するのが嫌なのもあるが、どのみちその5分早く来る子たちというのは、集合時間が今より5分早くなったとすれば、さらにまた5分早く来るのが目に浮かぶからである。なぜならその子たちにとってその5分は学校へ行くための自分の気持ちを整える時間なのだから。

僕がそういう子どもだったからわかる。今でもそうだが、何か目的があって集合する場合、ギリギリでいって着いたとたんに行動開始というのが好きじゃなかった。必ずほんの少し早めについてその空気に合わせないと、以降調子がおかしいのである。

人間には間が必要だ。整える間というものが。