あの日からたまにシリアスな感情が襲ってくる日々である。あの日とは元THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのチバユウスケ氏が亡くなったというニュースを聞いた日。
僕はあまり著名人や有名人の訃報について感想やお悔やみを述べたりしないタイプだ。たぶん身近じゃないからリアリティを感じないのだろう。あんなに好きなストーンズのミックジャガーやキースリチャーズが亡くなったとしても「そうか、とうとう逝っちゃったのか」と思う気がする。
だが、今回のチバ氏の訃報はかなりキてしまった。なぜだろうと考える。
国内、国外問わずこれまで自分が影響を受けたロックミュージシャンはたくさんいる。むしろその中ではチバ氏からの影響は少ない方だと思うし、もちろん知人でも無ければ会ったことも無い。なのになぜこんなにも『身近』に感じるのだろうか?…そう、今回の訃報は僕にとってとても身近な人が亡くなった、というショックに近いのだ。
例えばエレファントカシマシの宮本氏。彼はちょっと天才過ぎる。故に身近だと思ったことも無いし、むしろ近づきたくはない。遠くの場所からあの感性を感じていたい存在だ。
チバ氏の場合はちょっと違う。こういう書き方はファンの方に怒られるかもしれないが、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT時代の彼は、どこにでもいるロックンロール好きのあんちゃんが、ロックンロール中心の生き方をとことん突き詰めていった姿に映ったのだ。
つまりキース・リチャーズや宮本は僕らの延長線上に存在しないが、チバユウスケという男は当時の僕、そして今でも多くいるロックフリークスの先の姿として映っていた気がする。それは希望の光だったのか魔性の灯だったのかはわからないが確かにそこにいたのだ。それが失われてしまった喪失感はあまりにも大きい。
音楽に人生を捧げる。NO MUSIC, NO LIFE。いちいち大げさなことを言う人を僕は信じない。でもチバユウスケは信じる。なぜなら彼はただロックンロールが好きだっただけの男だと思うから。
彼が書く歌詞に意味を求めるのは愚かなことだが、『ダニー・ゴー』という曲の言葉だけはどうしても考えてしまう。まるで彼が彼自身の人生に捧げるような歌詞だ。
振り返らず 錆びた風は続くだろう
ざらつくダニー かき鳴らしていくんだろう