「Let It Bleed」を聴きながら.

音楽やバンド

1月4日。もうそろそろ街は日常に戻ろうとしている。お店はほとんど開いてるし、道路は年末年始に比べればだいぶすっきりしている。

僕はいうとやらなければいけないことがいくつかあるのだが、今日は朝からそんな気にもなれない。セガレには近所の友達が遊びに来ているので、僕と一緒に出掛けることもない。

こんなにぽっかりと空いたような自由時間もずいぶん久し振りなので、望遠レンズのついたカメラを持ってブラっと外に出てみることにした。

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いつもとは逆方向へ

僕は日常的に写真を撮っているが、それは仕事の移動中だったりすることが多い。なのでわりとエリアは決まっている。

今日は特段そういった制約もないので、たまにはそのエリア外へクルマで飛び出してみることにした。地図でいえば酒田から海岸に沿って南。湯の浜、由良方面へ。

そういえば今朝Facebookのニュースフィードを眺めていたら「Let It Bleed」という単語が目に入ってきた。もちろんローリングストーンズが1969年リリースしたそれだろう。残念ながら記事内容は読まなかったが、せっかくなので車内の音楽を「Let It Bleed」にすることに。

一時期「あなたが無人島に行くとしたら持っていくアルバムは?」みたいなクエスチョンが流行ったが、僕は間違いなく「Let It Bleed」を持っていく。5枚というならストーンズの黄金期と呼ばれる例の4枚にライヴ版の「ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト」かGun’s N Rosesの「アペタイト・フォー・ディストラクション」のどちらかを足すけど、1枚なら間違いなく「Let It Bleed」だし、僕にとってその選択は正解だと思う。

それくらい何度も聴いたアルバムだし、僕にとって必要なロックンロールのエッセンス全てが詰まっている。

それにしてもストーンズはなぜあのときああいったコンセプトのアルバムをリリース出来たのだろうか?

バンドは多くの問題を抱えガタガタだし、シーンを見渡せばフラワームーヴメント一色の空気。そんな中、戦争や殺人といった暴力的なコンセプトである。しかもアルバムタイトルは「さあ、血を流せ」なのだ。

確かにミュージックシーンは「愛と平和」を訴えてはいたが、現実はベトナム戦争真っ只中、すなわち暴力の時代。

勝手な推測だが、恐らくストーンズ、というかミック・ジャガーやキース・リチャーズにとってのロックンロールとは「どこまでもリアルであるべきもの」なのだろう。もし、彼らにインタビューを一度だけ出来るとしたら、僕が聞きたいのはその部分だけである。

そしてそんな僕も少なからずその影響を受けている。僕はどこかロマンチストなくせに現実主義でもあるのだ。もともとがそういう性格だからストーンズの音楽に惹かれたのか、それとも彼らの影響でそうなったのかは今となってはわからない。

そういえば先日ツイッターで友人の高橋奏さん(@tkhs_ssm )が「CDやDVDを勢いよく整理してたら、ビートルズとストーンズしか残らなくなりそうだった」ということを呟いていた。

じつは僕、ビートルズというものを全く理解出来ていない。嫌いとか知らないとか理解できないとかではなく、理解出来ていない。

もちろん好きな曲も持ってるアルバムもたくさんある。けれどもストーンズの場合のように自由に見解を語れるほどの理解度がない。

この年齢までそうなんだから、恐らくこの先もそうなんだろう。若い頃はビートルズを理解出来ない自分に軽くコンプレックスを持ったものだが、もちろん今はそんなことはない。

そんな僕がビートルズのナンバーで群を抜いて一番好きなのは「Nowhere Man」である。いわゆる「ひとりぼっちのあいつ」だ。

ひとりぼっちはけして哀しいことばかりではない。この曲を聴くとそう思う。

というわけで

時間にして2時間ほどのドライヴだっただろうか?結局「Let It Bleed」の方はは2周して本日の役目を終えた。

それにしてもこのアルバムはもっと評価されてよい。いや、もちろん評価されてはいるが、もっともっとである。ロックンロール史において未来永劫語り継がれるべきだろう。

ロックギターを自称する全ギタリストで、もしこのアルバムを聴いたことがない人は、それは大変なミステイクである。

ぜひこのアルバムにおいてのキース・リチャーズのギターワークを聴いてほしい。

彼は誤った認識のされ方をしている。だらしなくぶら下げたクリアトーンのテレキャスターをかき鳴らすだけのジャンキーではないのだ。

キースは天才である。何度も言うが、このアルバム内のギターワークを聴けばわかる。

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