美しい写真は本当にその景色が美しいから

不思議なもので、毎日のように写真を撮れば撮るほど「自分が撮った」という感覚が薄れ、むしろ「撮らせてもらった」という気持ちが強くなる。

正直このようなへりくだった言い方は好きじゃないのだが、写真を撮るという行為に関しては本当にそう思うのだから仕方が無い。

先日とある事情で僕がここ2年間で撮りためた地元酒田の写真を一部提供する機会があり、その依頼の方から丁寧にお礼の言葉を頂いた。

すごく不思議な気持ちである。というのもそれは僕がたまたま複写しただけであり、元々はこの街が持っている景観であり素性なのだ。

子どもたちの写真にしたってそうで「可愛く撮ってもらってありがとう」と言われることもあるが、それはもともとその子が可愛いのであって、たまたま僕が時間を止めて複写したに過ぎない。もちろん撮影機を操作する「手間」ということに対してお礼を言われるのはありがたいと思うが。

土門拳氏は「写真は肉眼を超える」とおっしゃったが、さすがに僕はそこまで言い切れる身分ではない。

ただ言えることは、どうやら僕にとって写真とは記録であり複写であって、自己表現活動ではないのだ。だから可愛い写真は本人が可愛いから。美味しそうな写真は本当に美味しいからそのように写るんだと思う。

僕は毎日過ごしていく中で、何らかの理由により感覚に引っ掛かったものをひたすら複写している。恐らくずっとこれの繰り返しなのだろう。

だからそれに対して共感を得たときは何事にも変えがたいほどの嬉しい気持ちになる。もともと共感を得るためにシャッターを押すことは無いからなおのこと。

写真を始めてから、僕も、僕の身の回りもいろいろ変化したことがあったが、一番は「思っていたよりこの世界は美しいもので形成されている」ということに僕自身が気づいたことだ。

自然風景ばかりじゃない。人間だってそう。

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