庭に紫陽花が咲いた-MC Rokkor-PF58mmf1.4-

MC Rokkor-PF58mmf1.4

昨日、自宅の庭に紫陽花の花が咲いてることに気づいた。

手持ちの中でも、この時期から夏に限って持ち出す頻度が高くなるオールドレンズがある。それが旧ミノルタの1966年生まれ、MC Rokkor-PF58mmf1.4である。

今日は土曜日。僕にとっては休日であるが、昨晩は21時頃に寝てしまった。そのせいで今朝は4時に目が覚め、外を見ると天気が良くなりそうな気配。

なのでさっそく今シーズン第一弾のMC Rokkor-PF58mmf1.4のスナップを楽しむことにした。

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MC Rokkor-PF58mmf1.4

過去にも書いてきたが、このレンズはとても特徴的な写りをするので趣味性が高い。間違っても大切な記録などには使わないことをお奨めする。

逆に、とても古めかしい…いや、古めかしいだけではなくちょっと現実離れした写りをする印象である。上手く言い表せないが、何というか子ども時代の夏休みに昼寝から目覚めてぼーっとした頭で見る景色のような。

これには好き嫌いがあると思うが僕はとても好き。手持ちの古いレンズの中でもベスト3に入るくらい。

そもそもひと口に写真と言っても、撮影者、あるいは撮影の機会によって求めるものは千差万別。忠実な記録性を写真に求める場合もあれば、写真だからこそ可能な表現を欲する場合もあって、今の僕は後者なのだ。

『写真には写らない美しさがあるから』という有名な歌のフレーズがあるが、僕は『写真にしか写らない美しさ』を求めている。

ただ言えるのは、これからカメラはAI化は加速する。その昔、ピントを合わせられるだけで重宝された人間がオートフォーカス化に寄って無になったように、あるいはフィルムがデジタル撮影素子に代わり、誰もが失敗を恐れず写真を量産することが可能になったように、恐らく忠実な記録写真、もしくは理路整然とした構図の写真は誰でも簡易的に撮れる時代があっという間に来るし、そしてもっと強烈なのは、高度な合成技術によって本当に現実で撮れたものかどうかは意味を成さなくなる。

これによって僕らみたいな趣味カメラマンがどう変わっていくのかはわからない。けれどもカメラの操作が上手な写真、綺麗な写真はもはやAIが駆逐していくだろうから、僕自身はAIには補完出来ないマインド的なもの、より情緒的なものにより惹かれていくのは予想できる。

…といった小難しいことを土曜の朝から考えながら、このピント合わせがとても大変なMC Rokkor-PF58mmf1.4と戯れてきたのであった。

最後に成果物をどうぞ。開放値は全部F1.4で撮ってます。ではまた。

作例

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