八月に熱くなれ

散文的日常記録

以前書いたが、僕はオリンピック開催に賛成派ではあった。

酒田の聖火リレーを観にいった話
東京2020オリンピックまでひと月半ほどになり、我が町山形県酒田市も聖火がやってくるという話題で沸騰...というほどでもないですが、数週前からあちこちで交通規制の立て看板を見かけるようになりました。正直、僕は見物にいくのにはさほど意欲的では...

こういったことを明言するのは社会的情勢的にはばかれることではあるが、本当にシンプルに考えた結果、そういう気持ちなのだから仕方がない。

シンプルとは何か?それはかつて小学6年生のときだった僕がロサンゼルスオリンピックをテレビで観て「カール・ルイスはすごい!アメリカは、世界はすごい!」と感動したように、息子にも同じ経験をさせたたかったからである。

「あの1984年のロサンゼルスから五輪は商業主義に変わってしまった」と揶揄する意見もあるが、そんなことは観衆である僕たちには関係ない。あのオリンピックが当時の僕たちの心をわしづかみにしたのは確かなのだ。

あの頃、世界は元気だったし、僕の身近な大人たちも元気だった。僕らはそんな遠くの世界と身近な大人たちの姿を見て育った。

時を経て僕は大人になった。稀に「オガーさんってわりといつも全力よね」と周りの友人知人に言われることがあるが、僕本人はそんな意識は毛頭無く、ただあの頃の大人を真似しているだけなのである。

僕の思惑通り、息子も連日オリンピックに熱中している。同じ武道をしているからなのか、特に柔道には釘付けだった。

男子73キロ級の大野将平選手や女子78キロ級の濵田尚里選手が決勝戦で勝利したときに、畳を降りるまで喜びをあらわにしなかった。そんな姿を見て「なんで?」と息子は僕に尋ねた。

「それは彼らがスポーツマンではなく武道家だからだ」と教えた。

柔道でも剣道でも武道は礼を重んじる。そして戦ってくれてありがとうという感謝の気持ちは不可欠だ。実際に剣道では一本の判定後、小さくガッツポーズをしただけで取り消しになる。

そういったことが時代にあってるとか合っていないとかはこの際問題ではない。それが武道精神であるのは紛れも無い事実というだけである。

さて、息子はかなり熱くなってきた。子どもが熱くなったなら大人はそれ以上の熱量を持たなければならない。仕方ないから8月は剣道の自主練予定を多めに入れた。

僕が子どもの頃だって真夏の剣道は地獄だった。今でもつらい思い出だ。

だが考えてみれば、それに付き合ってくれた指導者や保護者といった大人たちだって大変だったはずなのである。

あの当時の大人たちに僕は負けない。僕も八月に熱くなるとする。

みんな頑張れ。

 

 

稽古で汗を流した後のなんともいえない爽やかな感じは今も昔も変わらないはずである。

 

 

僕たちだけではない。野球やサッカーの子たちも頑張っていた。

 

 

さぁ、八月の始まりだ。

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