【地下鉄のギタリスト】土門秀明さんと会った夜。

どうもオガーです。

僕が高校生のとき、いつものたまり場で一人の友人が高らかにこう宣言した。

「おれはもう学校なんてやめて東京に出るわ。ラーメン屋でバイトしながら生きていく」

そいつは別に世界一のラーメン屋になりたかったわけでもない。ただ、そのとき停学処分になるかどうかの瀬戸際で、ただでさえ学校なんぞに通う意味なんて見出せない毎日なのに「ここで丸刈りという罰を受け入れ、反省した素振りを見せてまでもココにへばりつくになるなんて冗談じゃない、そんなもんこっちから願い下げだ」という勢いからの宣言だった。

思えば僕にしたってそんな感じだった。もし学校なんかやめたとしても、例えこの街から放り出されることになったとしても、東京に出て路上で弾き語りでもやって小銭を稼ぎながら生きていけるさと考えていた。

結局そいつは停学にはならず卒業まで在学し、僕にしてもストリートで生計を立てるなんて経験もしたことのないままこの年齢まで生きてきた。そして今ではきっちり「そんなに世の中甘くは無いよ」という側に収まっている。

別にそれを恥じてはいない。もし今身の回りでそんなことを言ってのける若者がいたとしたら、僕はしっかりと反対するだろう。実際世の中はそんなに甘くはないし、若さとはそれだけで素晴らしい才能でもあると思う反面、未熟ということと表裏一体なのだから。

今回お忍びで帰省する予定の土門秀明さんと会うと決定した後から、しばらく僕の日常に妙な緊張感が発生した。

それは「日本人初のバスカー」という肩書きに臆したわけでもないし、僕の本棚にある「地下鉄のギタリスト」という本の著者だからということでも無いと思う。

それはやはりあの頃の僕や同級生のあいつ、そして多くの人が若い頃に持っていた「いつだって飛び出してやる。おれはおれの力だけで生きていく」という思いを実行した数少ない人だからだろう。

生活とは文字通り生きる活動なわけだが、実際に音楽ひとつで生きる道を切り開いた人に会うことなんて早々ない。そう見えてそうではない人達と会う機会はあったとしても。

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2018.1.26

心地よい緊張感を保ったまま、僕は約束の場所である酒田駅前の居酒屋を目指した。

今日に限って家の者が誰も手が空いてないので、仕方無いから徒歩で向かった。自家用車で行って帰りは運転代行業者で、という手もあるにはあるが、金曜夜ということに加えこの悪天候&悪路じゃ代行業者をアテにはしづらい。2時間待ちとか僕は嫌なのだ。

雪も風も収まってはいたが、いかんせん歩きづらい。というより雪で埋まって歩道が無い。そこは愛用のソレルのスノーブーツでガシガシ歩いていく。

この写真を撮り終えたあとから、またもや雪が降り始めた。もう写真なんて撮ってる余裕ありません。

腕時計を確認すると約束の15分前だった。予定では10分前に着くはずだったのにさすがにこの天気では時間がかかる。

ふと「あの本を持ってこなくてよかったな」と思う。本当は「地下鉄のギタリスト」を持参してサインしてもらおうかなというスケベ心があったのだが、この天候じゃグチャグチャになってしまったに違いない。

到着

恐らく雪だるま状態になってたであろう僕は、店の前でダウンジャケットを脱いで雪を振り払い、そして入店した。

すると土門さんが立っていた。まずその背の高さにびっくりした。

挨拶すると一瞬キョトンとした表情を見せた。そうか。僕は一方的に知ってるけど、土門さんからすれば僕のSNSの見づらいプロフィール写真やブログ記事にたまに出てくる容姿しか知らないんだから当然なのだった。

席に着くと、僕はまず「地下鉄のギタリスト」は読んで今も持っていることと、当時そのキッカケとなった酒田市希望ホールでの公演も客席から観ていたことを伝えた。

自然体

活動は小さいながら僕も長いあいだ音楽をやっていたので、ツアーでこの街に寄ってくれたバンドマンだったりと話す機会はそれなりにあった。中には昔有名だった人や、これから有名になりそうな人もいた。

けれども土門さんはどのタイプにもあてはまらない。

もちろん同郷ということも関係してくるのだろうけど、とにかく初対面なのに自然体で接してくれるし、故に僕も自然に会話が出来てしまう。

とにかく自分を大きく見せようといったことや、またその逆で必要以上に物腰を柔らかくするといった素振り、そういったものが全く感じられない。

僕なんて、終いには昔から知っている仲の良い故郷の先輩の誰かと酒を呑んでいる錯覚に陥ってしまうほどだった。そのたび自分に言い聞かせる。

(いやいや、この人はあのtears in heavenを弾いてた土門さんだぞ)

今回お会いさせて頂くということで、僕は改めて土門さんのことを検索し、そしてYouTubeチャンネルを発見した。

そしてロンドンの地下鉄でエリック・クラプトンのtears in heavenを弾く動画に衝撃を受けたのだ。

僕は思わず土門さんに伝えた。

「あのtears in heaven、僕はクラプトンのより好きです」

すると土門さんは「それはきっとオガーのツボなんだよ」と笑いながら応えてくれた。

いや、実際僕はこの動画は凄いものだと本気で思っている。

演奏が上手いとか、ギターの音色が素晴らしいとかそういうことではない。

ロンドンの地下鉄の駅を忙しそうにひた歩く人達が小銭を投げていく。

この曲はエリック・クラプトンに寄る偉大な曲だが、それは彼の手元に留まることなく、優れたポピュラーミュージックが本来持つ「大衆のもの」である意味を見事に証明している。しかもこの動画は意図して作られたファンタジーではなくドキュメンタリーなのだ。

これを観たとき、僕は何故かローリング・ストーンズのSalt of the Earthが頭に浮かんだ。「地の塩に乾杯しよう」という歌は、巨大なスタジアムでの派手なライトで装飾されたステージよりも、一度こういった場所でじっくり聴いてみたい気がする。

※土門秀明さんのYouTubeチャンネルはこちら

3時間近く

気が付いたら3時間近く経っていた。

会話した内容の詳細は今回省かせて頂くとするが、とにかく楽しい時間を過ごさせてもらった。

今回はFacebookがきっかけで会うことになったわけだし、YouTubeで土門さんの動画に出会うことにもなったし、ブログで僕という人間に多少なりとも興味を持って頂くことが出来た。

考えてみればこれはわりと凄いことだと思うし、何より自分なりにSNSやインターネットサービスをツールとして有効活用出来ていたことを嬉しく思う。

土門さんは最後の方でこう言った。

「やっぱどんな人生であれ、何でもいいから先のほうに何か定めてワクワクしてないと毎日が楽しくないよね」

これはごもっとも。

僕はいつもワクワクしている人が好きだ。それ故、出来ることならば土門さんのワクワクしたプロジェクトに何か関わっていけたらな、とも思う。

それはもちろん、同郷の先輩だからとか偉大なミュージシャンだからとか、そういった理由からくる「応援」という感情ではなく、同じワクワク帝国の住民として、そしておこがましいけれども友人として、という意味なのである。

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