セガレが剣道を始めたのが昨年の八月。防具を付けて稽古をすることを許されたのが確か11月なので、人間と対峙し始めてもうじき1年となる。
セガレが入門したときはちょうど5人目の門下生だったにもかかわらず、現在では急激に増え11名になった。
巷では僕があちこちに声を掛けたという噂が流れているが、決してそんなことはなくたまたまそういうタイミングだったのだろう。
いずれにせよ大変喜ばしいことだ。僕がセガレと同じくらいの頃は恐らく60~80名くらいの団員がいたが、全校生徒の数も1200~300名いた。その後学校は2つに分かれたことや少子化も相まって、現在では450名強の学校になった。
そう考えると、やや時代遅れ感が否めない剣道という競技の団員が11名もいるのは立派なもんだと思う。
あとはセガレの学年の生徒が多いので、低学年の子たちが彼らに続いて入門してくれればしばらく安泰となる。そのためには僕ら保護者が剣道の素晴らしさをひろめていかねばなるまい。
・・・剣道の素晴らしさ。剣道の素晴らしさって何だろう?よく言われるのは「礼儀が身につく」とか「姿勢がよくなる」だろうか?
ただ、礼儀作法は現在他のスポーツ少年団もきっちり教えていると思う。挨拶もハキハキと気持ちよい。
姿勢はどうだろう?僕は小学校一年生から初めて高校で三段(二段だったかな?)を取るまでやったがとても姿勢が悪い。
ということで「礼儀作法は他のスポーツでも身に付くし、別に姿勢が良くなるわけでもないよ」というのが僕の結論である。
でも、剣道を習うことで確実に身につくことがある。それは戦いの本質だ。
今年度の我が地区の小学生参加の剣道大会は、コロナ禍のために全て無くなった。そのため道場の中だけではあるが、毎週水曜日の稽古内で対人稽古を許可された6名内で個人リーグ戦を行っている。今夜がその最終戦だ。
僕はセガレにいま戦うことを教えている。それは「勝ちたきゃ負けることを恐れるな」ということである。別にかっこいい理想論を押し付けてるわけではなく、剣道という競技がそういう性質で出来ているからだ。
自分の打ちを当てたければ相手の打ちが当たる間合いに入っていかなきゃならんし、しかも相手の防御本能を超えて当てるには自ら隙を見せて前に出なきゃいけないときもある。ゼロリスクで勝てるなんて虫のいい話は剣道の試合には存在しない。
考えてみれば世の中に出ればこんなことは当たり前なので、小学生からそういうスリリングな局面を1対1の試合を通して何度も体験できるのはとても素晴らしいことだと思う。
だから僕というイチ個人の意見ではあるが、もし剣道を習うことの素晴らしさは何か?と問われれば「戦える人になるための訓練」である。実際僕はそう思ってセガレをサポートしているし、はっきりいえばこのあたりの大会に出て1位だ2位だとか順位を競うことなんかより何倍も重要だ。もちろん勝利を目指すのも大切なことだけれども。
さて、その当のセガレは今夜の試合をやけに張り切っている。相手は主将でここまで無敗の6年生。2ヶ月ほど前の練習試合では30秒もしないうちに二本取られて負けたくせに。
「父ちゃん、今日は俺の本当の強さを見せてやるよ」
非常に楽しみである。何か秘策でもあるのだろうか(笑)