新年度が本格的にスタート。僕の交差点での観察も開始だ。
といっても、今日は毎度の場所から少し歩き、小学校前の交差点まで行かなけらばならない。そこが僕の持ち場だからだ。
以前も書いたが、僕は毎朝子どもたちの登校を見守っている。それはもはや趣味だ。誰に頼まれてもいないし何の使命感も無い。となるともはやそれは趣味だろう。始めは息子の登校を見守るつもりだったこの観察も、もはやその息子は小学校を卒業した。だが、どうやら僕はこの趣味をこれからも続けるようだ。いつもの朝の空気に触れないとどうも調子が狂いそうだから。
さて、そんな僕の趣味だが、先にも書いたように今日はちょっと事情が違う。毎月2度ほど行う町の交通安全部の仕事として、黄色や黄緑の上着を着た人が一斉に持ち場に立たなきゃならない日。それが今日なのだ。
これは趣味と違ってあまり面白いというものではない。なぜなら仕事だからだ。仕事だからつまらないということではないが責任が発生する。責任が発生するということは面白おかしいという感覚だけではやってられないのだ。
ところで僕は「仕事」と表現した。これまでもそう表現することはあった。
PTA広報部としてのお仕事。
町内交通安全部としてのお仕事。
スポ少保護者会としてのお仕事。
僕自身はこう表現することに何の違和感もない。でも、間違っているのかもしれない。世間でいう仕事とは賃金が発生することが条件みたいだからだ。
でも、本当にそうだろうか。僕は賃金うんぬんいうのは労働と表現するべきであって、仕事とはそれとは無関係ではなかろうかと思う。
小学生の委員会にだって「いい仕事」ってのはあるだろう。
野球で8回裏2-0でリードした局面。一死一、二塁のピンチの場面。セットアッパーが登板し、内野ゴロを打たせてゲッツー。これは誰もがいい仕事と呼ぶだろうが、別に賃金が○○円発生したこととは一切関係ないだろう。
だから僕がこれまでに、もしくは現在進行形でやってる上に挙げたような仕事は、ボランティアという言い回しはしない。全部仕事と一括りにしている。そして、仕事をするならいい仕事をしたいと常々思っている。
今朝は新中学生やら新高校生やら、小学生の初々しい登校班やら、そして昨日の県議会選挙に当選したばかりのおばちゃんやらで、とても賑やかで、そしてフレッシュな朝になった。朝日を浴びながらの会話も弾んだ。
みんな今日もいい仕事しようぜ。