我が子が可愛けりゃ、その友達もまた可愛いのは当然だろうという話

昨日、息子が通う小学校の「絵本読み聞かせボランティア」に参加してみた。息子が幼稚園時の読み聞かせも何度かやったことはある。だが、小学校では初めてなので、とりあえず息子が所属するクラスを希望した。

さて、僕がこういうことに積極的に参加する理由は、まず第一に子どもたちから顔を覚えてもらいたいことにある。

僕はPTAの広報部長であると同時に、息子の学年の撮影班でもある。せっかくそういった仕事をやらせて頂いてるのだから、彼らの小学校生活の記録は1枚でも1クリップでも多く、素敵な笑顔を残してあげたい。

そのためには常日頃からコミュニケーションを取るのは必須。イベントのときだけ必死になって子どもたちに「はい!笑って!」といったところで、彼らはそんなに甘くない。子どもは決して馬鹿じゃない。

もちろん僕は息子のクラスの子たちの顔も名前もすでに覚えている。だけど、みんなが僕のことを知っているわけではない。だから、こういうチャンスには積極的に利用したいと日頃から思っている。

そういうこともあって本は堅苦しくないものを選んだ。

8時15分、教室に入っていくと、いきなりみんな笑ってくれた。「おっさんが教室に入ってくる」という非日常な出来事だけで笑えるという気持ちは非常にわかる。

冗談を交えつつ挨拶をし、ゆっくり読み始める。サメのセリフのところではちゃんと声色を変えてたり、みんなと対話をしながら読む。その都度、みんなが大声で笑ってくれる。

「なんて素晴らしい時間なんだ」

心の底からそう思った。みんなの意識がこちらに集中してるのがハッキリとわかる。こんなことって普通あるだろうか?と本を読みながら感じる。これほど一点の曇りもなく人の視線と意識の集中を強く感じることってそうそう無いだろう。

15分足らずの短い時間だったが、本当に貴重な体験をさせて頂いた。もちろんこれからも続けたいと思う。

元気良く挨拶を済まし、教室を出るときに息子が僕に軽く手を振った。ちょっと誇らしげにみえた。

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校長先生を撮る

一度自宅に戻り、休日だった妻と一緒にまた学校へ向かった。

今度は三学期末に発行される広報紙で、この春に退職される校長先生の特集ページを組んだので、それに使うための写真撮影。

僕の担当ページなので本当は撮影も僕がやってみようかな、と思っていた。だけど、内容が内容だけにやはりベストを尽くしたい。結局、写真業の妻に撮影をお願いし、僕はアシスタントとして働くことにした。

約束の20分前に到着し、ロケハンを行った。数箇所候補が決まり、いざ校長室へ。

撮影前に、お茶を飲みながら雑談する時間を設けてくれた。我が校の校長先生の素晴らしいところはこういったところにもある。この時間があるのと無いのでは、撮影の出来が変わってくるというのをまるで知ってるかのようだ。

いい結果を残しましょう、というカメラマン側と被写体側の意志が一致するのを見た気がする。

「よくこういう仕事をしていると『カメラマンって辛抱強くなきゃ出来ないですよね~。いい瞬間が来るまでじっと待つんでしょう?』と勘違いされる。冗談じゃない。私達はどんな条件でも、どんな機材でも、限られた時間の中で最善の結果を残すことを求められる。私は絶景などの写真は趣味でも撮ったことないからわからないが、少なくとも私がこれまで仕事として行ってきた人物写真撮影においては、そんな悠長なことは言ってられない。待つんじゃない。作り出さなきゃいけない。写真なんてカメラのシャッターを切れば誰でも撮れる。問題はそこじゃない。その状態まで持っていく経緯の方が大事」

校内の廊下に立つ校長先生と会話しながらシャッターを切り続ける鬼の、いや妻のちんちくりんな後ろ姿を眺めながら、僕は以前彼女に聞かされたそんな話を思い出していた。そのとき・・・

「こんにちは~」

息子のクラスの子達が話しかけてきてくれた。

「おぉ、○○ちゃんに○○くん。今朝のおじさんの話は面白かったかい?」

「うん、サメの声が面白かった~」

「わはは。またやるからよろしくね」

「えー。いつきてくれるの?」

「わかんないけど、また必ず来るから」

「は~い」

この学校は本当にいい学校だ。校長先生、今までありがとう。そしてお疲れさまでした。

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