船が好きだった僕のおじさん

散文的日常記録

僕の母親は農家の末っ子として生まれた。父親を早くに亡くしたので一番上の兄が家長だった。

いわゆる僕のおじさんである。彼は母が結婚するときに一つの条件を出した。

それは「もし、男の子が産まれたら剣道を習わせること」

彼の思惑通りに僕は男の子として生まれ、物心つく前から新聞紙を丸めた剣でチャンバラごっこを強いられた。そして僕が小学校に上がるのをとても楽しみにしていた。

僕は小学校入学と同時に剣道スポーツ少年団に入団し、たまに講師として訪れるおじさんの指導を受けた。

農家である彼は、ちょうど今頃の時期になると僕をトラクターに乗せてくれた。今と違って昔のトラクターはオープンカーだから、春の風がとても気持ちよかったのを覚えている。

ある日、おじさんは船を買った。本当は農家でなく漁師になるのが彼の夢だったから、子どもの僕から見てもすごい浮かれようだった。

「海へ連れて行ってやるぞ。友達の剣道仲間を誘ってみろ!」

僕はスネ夫の如くおじさんの船を自慢した。海でキス釣りやるから行きたい奴はこいよ、と得意げだった。僕を含め全部で5人が行くことになった。

夏休みのとある日の早朝、集合場所で待つ僕らの元へおじさんの船はやってきた。かちかち山の泥舟にエンジンを付けたようなやつだった。

僕は勝手にテレビの中で加山雄三が乗るような船を想像していたので、とてもガッカリした。

沖に出た。揺れが激しく、釣り場に着く頃には全員が船酔いし吐いた。キスが釣れたような気もするがよく覚えていない。帰ってからもしばらく地面が揺れていた。

僕の小学生時代は剣道をひたすら頑張った。おじさんは「お前の道場は名門なんだ。主将を目指せ。チームの大将を目指せ」が口癖だった。

剣道なんて特に好きでもなかったが、大会で好成績を収めると、全校生徒の前で表彰されるのが嬉しかった。嬉しかったから、また頑張れた。

そして僕が中2の冬のとき、おじさんは死んだ。

朝、息子と二人で船で川へ出たときに倒れたらしい。いわゆる脳溢血だった。倒れてから3日で死んだ。57歳か59歳だった。いずれにしても早すぎると思うが、大好きな船の上が最後の記憶なのだから、ある意味幸せだったんじゃないかと思っている。

半年ほど過ぎ、それなりの成績で終えた中学最後の大会の夜に母が言った。

「もう、おじさんとの約束は果たしたから剣道はやらなくてもいいよ」

そのとき僕は嬉しくも悲しくも無かったが、剣道はやらないことに決めた。だから受験時に強豪高校から声を掛けられても「もう、剣道はやりません」とはっきり断ることが出来た。

幼い頃から続けてきたものをやめるというのは、何だか自分が自分で無くなるような気がして恐かったが、中学卒業後の春休みにエレキギターを買ってしまったので、すぐに新しい気分になれた。

ところで今の僕はよくおじさんに似ていると言われる。

自分でも何となくそういうところがあるな、と思っている。

さすがに50代でおさらばしたくはないが、仮にそうなったとしても、そのときは好きなことをやり続けてる自分でいたいものだ。あの世にいってから色々探すのはめんどくさいから。

おっと、こんな時間か。息子をピアノ教室に連れて行かないと。

 

 

 

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