今夜は息子の小学校でPTAの大掛かりな役員会が行われる。
今年度において予め選出された役員たちのそれぞれ係や役職がここで内定し、後日行われる総会で全保護者の承認を得ることが出来れば、晴れて今年度PTA活動がスタートする。僕は今年も広報部へ立候補済みだ。
三年半前、僕が広報部へ入部するきっかけとなったのは、当時PTA副会長だったMさんから「広報部への外部協力者として、この二学期に行われる運動会と発表会のダイジェスト動画を作ってくれないか?」と依頼を受けたことだった。
今、考えるとあれは僕に対するテストだったのかもしれないが、小学校でのそういった創作は初めてではあったものの、特に問題も無く、いつものように僕と妻で一本のクリップを創った。
その製作過程において、僕は妻が撮影した一枚のスナップ写真に心を動かされることとなる。それは息子の二つ上の学年である3年生の発表の中で、ダンスを踊る女の子の写真であった。
写真というものを言葉で説明するのはとても難しいが、とにかくひたむきさと聡明さを感じさせ、そして少し不安げな表情で踊る名前も知らない女の子のスナップ写真は、僕が持つ学校生活に真剣に向き合う小学生のイメージそのものだった。
「このようなかけがえのない瞬間を埋もれさせてはいけない。この子の親御さんはもちろん、よりたくさんの人に伝わっていかなければならない」
あのとき僕はこのように妙な使命感が沸き立った感覚を今でも覚えている。この出来事をきっかけとして、僕は次年度から広報部員として広報誌制作を手掛けるようになったのだった。
思えば僕が写真に傾倒していったのは、ここがターニングポイントである。
動画でもなく、音楽でもなく、読み物でもなく。
人と人、過去と現在、コミュニティと外界。
それらを「一瞬」で繋げたり、人を振り向かせる可能性があるのは、そのとき時間という概念を定着させたたった一枚の写真なのだ、と確信を持つようになった。少なくとも今の自分にとってはそうなのだ。
それから三年半が経ち、そのあいだいくつかの偶然を重ね、その写真の子や周りの友達とは時折会うと会話をするような、いわゆる顔なじみとなったのだが、時が経つのは早い。あっという間に彼らの学年もこの春卒業式を迎え、このタイミングで僕はその子の親御さんに例の写真のプリントを渡した。例のエピソードも伝えるかどうか直前まで悩んだのだが、結果、話すことが出来て良かったと思う。
余談だが、僕はこの桜が咲く時期に、記念写真を喜んでくれたり大事にしてくれそうな、在学中に仲良くしていた子どもたちやご家族の卒業生を対象に、毎年学校のグラウンドの桜の木の下で卒業と入学祝いを兼ねて記念撮影しませんかと声を掛けている。もともとこれは妻が提案したことで、今年で3年目となる。そして今年集まってくれたその中には、例の写真の子もいた。
いざ撮影に入り、妻が子どもたちに声を掛けながらシャッターを切るその様子をなんとなく眺めていると、何だかとても不思議な気持ちになった。
3年半前、偶然幼い女の子のスナップ写真を撮ったカメラマンが、そのたった一枚の写真をきっかけに、今こうしてその子の中学の制服姿の記念写真を撮っている。
やはり写真は素晴らしい。
僕はこれからも写真を撮っていこうと決めた。