先日学年でピアノが弾ける子を集めて、秋の発表会で行う出し物のピアノ担当のオーディションが行われたらしい。残念ながら息子は落ちた。音楽には自信があったらしくそれなりに落ち込んでいた。
僕はチャンスとばかりに言った。
「おまえはバカか。家で全然練習しないのに楽器が上手くなるわけないだろうが。ああいうのに選ばれるやつってのはな、ちゃんと教室が無い日でも家で少しずつやってんだよ」
うちの息子は器用な方である。わりとすぐに何でも出来てしまう。じつは僕もそういう子どもだった。そして「なんでこんな簡単なのがみんな出来ないんだ?」と思っていた。当たり前だがそんなのが通用するのはせいぜい小学生までだった。結局努力する奴に僕はいろんなことを中学で追いつかれ、そして抜かれていった。
そういえばこの夏、息子は剣道でもこんなことがあった。 校内でちょっとばかし上位になってキャプテンになって順調に来てたのが、他校との練習試合で相手が一つ年上の連中とは言え歯が立たなかった。それでメソメソしてたので僕はまた言ってやった。
「おまえはバカか。俺がお前の頃は、練習が無い日でも卒業まで毎日素振り100回やってたわ。せめてそれくらいやってから泣け」
じつはこれは嘘で、僕がそれをやったのは6年生になってからだった。でもいい。嘘も方便ってやつだ。
そんなこともあって現在の彼は毎日ピアノも少し触ってるし100回の素振りも行うようになった。
屈辱は大事である。僕は彼に子どものうちにもっと屈辱を味わってほしいと思っている。
子どもはバカではないが未熟である。放っておいたら楽な方へ流れていくのが当たり前。最近は「子どもの自主性を重んじる」というのが主流らしく、その都度子どもの判断に委ねることもあるらしいが僕はそんなことはしない。いつも見え隠れする程度のレールをきっちり敷いている。
「そんなことをして子どもが本当に好きなことややりたいことが出てきたときに可能性を潰す気ですか?」と言われるかもしれない。
そんなことは100%無い。彼らがいつか心の底から本当にやりたいことが出てきたときは、親が敷いたルートなんて簡単に逸脱することを僕は知っている。 なぜなら僕がそうだったからね。でも、戻ってきたけどね。