イメージと忠実記録のすれ違い

写真や動画のこと

とある写真撮影が趣味の女性が何かの風景写真だったかをアップしたところ、同じく写真趣味のおっさんだかじいさんから「○○をこんなに不自然な写真にするなんて冒涜だ。勝手に手を加えるな」というお叱りを受けて凹みましたという投稿をSNSで見かけました。

まぁ僕から言わせれば元々写真なんて不自然なのが当たり前なんですけどね。だって人間の目で見たまんまの光景を撮れるカメラなんて存在しないし、そもそもその人間の目というのが各々で性能が違うわけだし。

でも、まぁ確かに「おおっと、すごく押しが強い仕上げだね」と感じてしまう写真は昨今見掛けます。インスタなんか特に多いですよね。

それはその撮影者なりがPCのソフトやスマホのアプリを使い一枚の写真を作り上げる段階で何らかの手を加えているからなんですけど、それにしたって昨日今日始まった話ではなく、フィルム時代から現像やプリントの段階、選ぶフィルムの特色などを利用して似たようなことをやってきたわけです。だからこの件についての僕自身の感想を述べさせて頂けるとするならば、批判された女性の方の肩を持ちたい気持ちではありますね。

その理由はですね、写真にはやはり「忠実な記録」と「イメージ表現」という両極端な性質を合わせ持ってるからでありまして、例えば僕などはPTAのお仕事で学校写真を撮るときは前者を、趣味としてプライベートで撮るものは後者をというふうにそれぞれ完全に使い分けています。

だってですよ、もし子どもたちの学習活動記録を僕の勝手なイメージを介入させて加工した写真に仕上げたり、僕のなんてことない日常の切り取りを限りなく忠実に仕上げた記録写真にしたところで、まずそのどちらも誰からも必要とされることも共感されることもないはずですからね。

んで。

冒頭に述べたこの話題、両者の価値観が噛み合わなかったのは、女性は目の前で見た綺麗な風景をさらに自分の「イメージ」に近づけるために強調したこと、それに対しおっさんは自分の記憶にあるあの綺麗な風景を「忠実に記録」してもらえなかったことに憤っている、という話なんだと思います。

んで。

ここまでの話だったら両者引き分けなんですけれども、女性はその写真を発表し、おっさんはそれに対し難癖をつけた。この難癖をつけた点でダメなわけです。この総SNS時代に他人のアップした物にいちいち目くじら立ててる時点でもう時代遅れと自覚しなければいけない、という点で僕は、いや現代に生きている人はその女性の肩を持つよねという結論ですね。

というわけで長々と持論を展開しましたが、正直にいって僕にはあまり関係ない問題ではあります。

なぜって僕は普段から趣味として好きでやってるのは、誰が見ても美しい景色や瞬間を写真に収めたいというのとはちょっと違うかなと思ってましてね。むしろ「写真にしなきゃ気づかなかったかもしれない何か」が欲しくて、そしてそれを共有したいからやってるんですよ。

そんな感じだから、仮にどんな難癖つけられようが屁とも思いませんね。ああ、おれとあんたは違うんだねって感じで済む話ですから。

ではまた。

ところで不自然な加工に目くじらを立てる人って、モノクロ写真にも難癖つけるのでしょうかね。これも十分不自然だと思いますが。